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第五章「嘆きの朝」【21】

アクベイは息を切らし、体を震わせていました。彼はこんな恐怖の中で矢を放ったのは初めてのことでした。フィレントはすぐに立ち上がろうとしました。彼の後ろからヤスブが駆けてきました。彼は迷わず自分の剣を振り下ろし、フィレントの右手を手首から切り落としました。エゾンモールを持った右手が地面に落ちました。フィレントは苦痛の悲鳴を上げ、そのままうつぶせに倒れました。そこへリグ・バーグの兵士がやってきて、彼にとどめを刺そうとしました。ヤスブはフィレントと兵士の間に割って入りました。
「待ってくれ!」
「黙れ、こいつはわが同士を殺したのだぞ!あんな無残な姿で…」
「頼む、わかってくれ。あいつはこの戦いのせいでおかしくなってしまったに違いない。せめて正当な裁きを受けさせてやってくれ。慈悲を、慈悲を…」

逃げ出したフェリノアへいたちはリグ・バーグ兵によって鎮められました。それでも静止を聞かずに逃げようとした者が数人、リグ・バーグ兵に切られました。それはほんのわずかな時間の出来事でした。しかし、それがヤスブたちの運命を大きく変えてしまいました。

          

ヤスブ一行は捕らえられてしまいました。彼らは数日この地で拘束された後、解放されることになりました。しかしフィレントは平和維持軍の兵士を殺した罪により、裁判にかけられることになりました。ネルツァカは彼らにこう言いました。
「我々平和維持軍の目的は騒乱の沈静にあります。あなた方はリグ・バーグ国民の平和を脅かした。この責任は非常に重い。ヤスブ殿一行は襲われた身であるゆえ、同情の余地がある。だがフィレントという若者は我々の任務を妨害した。近く政府の裁きによって然るべき処置がなされるであろう。あなた方にもしばらくここに残って反省してもらわねばならない。」
ヤスブはネルツァカに頭を下げました。
「フィレントへの寛大な心遣い、感謝いたします。」
「そしてワシュウ殿、あなたにもここに残っていただかなければなりません。今回の騒乱においての罪と、その原因となった赤毛の娘を連れ去った件についての説明を聞かせてもらわねばなりません。平和維持軍は赤毛の娘には興味はありませんが、特命を受けて娘を探していたヌイレドがワシュウ殿にご質問をさせていただくことになると思います。そうだな、ヌイレド?」
「ネルツァカ様のおっしゃる通りでございます。私はネルツァカ様のお話しがすんだ後でワシュウ殿に色々とお尋ねしようと思っております。」
ヌイレドは愛想笑いを振りまきながらネルツァカに答えました。ヤスブたちの元に馬車が一台届けられました。その馬車はヤスブたちのものでした。馬車の中にあったのは、財宝ともう一台のほうに入っていた荷物でした。
「一台はこちらで没収する。これに馬を付けて亡くなったわが兵の家族に贈るつもりだ。」
ならばと、ヤスブは財宝の中から宝石の入った袋を二つ差し出しました。
「せめてもの償いに収めくださいますよう。」

続いて荷車に乗せられたノドモスが彼らの目の前に置かれました。ヤスブはノドモスを呆然と見つめていました。
「トーレン殿の話の通りなら、この老人はスウェイヴ将軍ということになるが…。その真偽はともかく、彼はまだ生きておられる。手当ても済んでいるようだし、後はあなた方に任せましょう。」
ノドモスは眠ったままでした。その青ざめた顔に生気は見られませんでした。これではたとえ生き長らえたとしても、このまま意識が戻らないことも十分考えられました。
「これよりフェリノア軍ご一同には帰国してもらうが、全員剣を地面に置け、全ての武装を解除せよ。」
ネルツァカの命令に従い、フェリノアの兵士たちは次々に剣を足元に置いていきました。
「これにはバドの方々にも従ってもらわねばならない。フェリノアとの争いをこれ以上はしてほしくありませんので。それから、赤毛の娘に関してはもうあきらめてもらうしかないでしょう。あなた方は被害者だが、一度彼らの手に渡ってしまったら、返してもらうのは容易なことではない。」
「我々にあきらめさせるのはリグ・バーグでも娘を手に入れようとしているからではないのですか?」

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第五章「嘆きの朝」【20】

「部下たちはまだ戻ってきておらんが、私はトーレン殿が嘘をついているようには思えません。ワシュウ殿には後ほどゆっくりとお話をうかがわねばならないようですね。」
ヤスブは安堵しました。ノドモスのことが気がかりでしたが、それでも一応は自らの計画通りに事が運んでいるといえました。ヤスブの後ろでどさっという音がしました。フィレントが馬から落ちたのです。みんなが驚く中、フィレントはエゾンモールを杖代わりにしてよろよろと立ち上がりました。彼はエゾンモールを鞘から引き抜きました。革と金属のこすれる音が響きました。慌ててエトンが彼に近寄りました。
「おい、何を…」
その瞬間、エトンの脳裏にあの時の光景がよみがえりました。“森の乱暴者”のアジトでフィレントが豹変した時と今の光景が重なりました。エトンは迷わず、あの時と同じように剣の柄でフィレントの頭を殴りつけました。鈍い音がしました。これでフィレントは気を失うと、エトンは思いました。ところが、それでもフィレントは倒れませんでした。彼は顔を上げました。その顔は怒りの形相に満ちていました。それはここにいる誰もが見たこともないような憤怒の表情でした。そしてそれはもはやフィレントの顔ではありませんでした。フィレントは口を大きく開けて雄叫びを上げました。それはとても大きくしゃがれた高い声で、大気と地面を震わせました。その声は人のものでもノドモスやワシュウが上げた獣の咆哮でもありませんでした。フィレントの一番近くにいたエトンは、子供の頃に聞いた昔話の悪魔を思い浮かべました。その悪魔はちょうど今のフィレントのように、恐ろしい声を上げて人間を襲ったのです。フィレントはエゾンモールを持ち上げ、ふらふらと歩き出しました。誰もが固まり、動けませんでした。ただ目で彼の動きを追うだけでした。彼は遊牧民の歩兵隊たちの前に来ました。彼はエゾンモールを地面と水平に一振りしました。フィレントの目の前にいた遊牧民五人の上半身と下半身がばらばらになりました。彼らの上半身が地面に転がっています。何が起こったかわからないまま死んでしまっています。彼らの後ろにいた兵士三人も腹から血を吹き上げていました。ワシュウがようやく声を出しました。
「その男から離れろ!」

ワシュウの声で我に返った遊牧民たちは、一斉に恐怖に駆られました。悲鳴を上げて取り乱しながら、我先にとフィレントから逃げ出しました。フィレントの前方に道が開けていくようでした。ネルツァカが何かを叫んでいる声が聞こえます。フィレントに近づいたのはエトンです。
「エトン、不用意だぞ!」
マスグがエトンを止めようとしました。フィレントの眼前は視界が開けました。その彼方にはオセアスがいます。オセアスは腰を抜かしているようでした。フィレントは再び悪魔の声で叫びました。さっきよりも大きく、長く。その狂気の雄叫びは暗雲を呼び、大地を割るようでした。エトンがフィレントの肩に手を差し伸べようとした時、フィレントは走り出しました。鎧を着て、大きな剣を持っているとは思えないほどの速さで、彼はオセアスに向かって走り出したのです。ラゾイがオセアスの前に出ました。ラゾイの頭の中にあるのは、迫ってくる悪魔に殺させる場面だけでした。刺し違えることさえも許されないと確信していました。ピルセンが馬を走らせました。フィレントはどんどん走る速度を上げていきました。フィレントの前にリグ・バーグの兵士が二人、馬で飛び出しました。フィレントは地面を蹴り上げ、高く跳ね上がりました。馬に乗った兵士の頭上を軽々と飛び越えました。フィレントが落下にはいった時、リグ・バーグの兵がもう一人出てきました。フィレントはエゾンモールを一振りし、そのまま兵にぶつかっていきました。兵士の鎧の左肩から右の腰へかけて裂け目ができ、兵士の頭と胴はフィレントといっしょに後ろへ落ちました。馬上には兵士の左腕と下半身が残されました。着地したフィレントはすぐさま走り出しました。ピルセンは彼を追い越し、馬から下りました。剣を二本抜き、目の前で交差させました。フィレントはそれがピルセンの姿だとわかっていないようでした。彼はピルセンをも斬ろうと構えながら走ってきました。エゾンモールがピルセンの剣とぶつかりました。ピルセンの剣は二本とも折れてしまいました。エゾンモールはそのままの勢いでピルセンに襲い掛かりました。しかしそのときフィレントが前のめりに崩れ、地面に倒れました。彼の右足のふくらはぎからすねを矢が一本貫通していました。アクベイの矢でした。

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第五章「嘆きの朝」【19】

途中で殺されてしまったか、それともスロンゼルは逃げてしまったと思うのでしょうか。きっとトーレンも落胆することでしょう。自分を信じてくれた彼との約束を果たせないこと、スロンゼルにはそれが残念でなりません。バドまでいくことをためらった時期もありました。でも今は違います。もし自分とマレアが自由になれば、スロンゼルはわき目も振らずにバドへ走り抜けるでしょう。叶わないと知りながら、スロンゼルはそう考えていました。

            

「ネルツァカ殿に聞いていただきたい話がございます。」
ただならぬ雰囲気でした。ネルツァカの近くにいるリグ・バーグの兵たちも警戒を強めました。そんな部下たちに対してネルツァカは右手を上げて落ち着かせました。
「うかがいましょう。まずはあなたのお名前から。」
「バド国、トーレン・シュトエラーゼス。」
「ではトーレン殿、話してください。」
トーレンはワシュウをにらみつけ、そして彼を指差しました。
「ワシュウの言うことは全て真っ赤な嘘、でたらめでございます。」
「ほう、それは何故?」
周りにモノの目が全てトーレンに向けられています。ワシュウも厳しい目で彼をにらんでいました。
「彼らは、我々の元から赤毛の娘を連れ去ったのです。」
ヤスブを除いて、バドの兵たちは皆驚きました。作戦が失敗した、誰もがそう思いました。レゴが何かを言いかけて身を乗り出しました。しかしピルセンに制されました。
「落ち着きなさい。まだ何もわかっていないでしょう。」
「赤毛の娘を乗せた馬車はここより西のほうに逃げていました。そこへワシュウ率いる騎馬隊が現れ、馬車使いを殺し、娘を奪ったのです。」

ヤスブは驚きで体が震えそうでした。ノドモスが殺された、とトーレンは言いました。
「そうです、私は見ていたのです。娘を守ろうとしたノドモスをこのワシュウが殺したところを、そして部下に命令し娘をフェリノアへ連れて行かせたところも、全て見ていたのです。」
「トーレン殿、それは本当のことなのですか?」
「嘘いつわりは一つもありません。我々は馬車を二台持っています。そのうちの一台には金貨や宝石が積んでありました。なのに彼らはその中身には目もくれませんでした。彼らはもう一台の馬車の中身、すなわち赤毛の娘に用事があったのです。彼らは始めからそのつもりで我々を襲ったのです。だから今はその馬車は空っぽです。現場はそのままになっています。お確かめください。」

そこでネルツァカの命を受け、すぐにリグ・バーグの兵士五人が現場を確認しに行きました。次にネルツァカはワシュウに尋ねました。
「トーレン殿の申し出に対して、何か言うことはありませんか、ワシュウ殿?」
「彼が何を言っておるのかわかりませんな。例えその現場とやらが彼の言った通りになっていたとしても、それがどうして我々の仕業だといえよう?」
「その右腕のケガはノドモスが繰り出した槍によって受けたものだ。お前はノドモスの腹を突き、ノドモスはお前の右腕を貫いた。ついさっきの出来事だ。まだその傷は痛むだろう?」
ワシュウの右腕には包帯が巻かれています。その包帯には血が大きくにじんでいます。血がにじんだ部分は濡れていて、出血が止まっていないことを意味しています。
「黙れたわけが、そんなものはこじつけだ。」
「ワシュウたち騎馬隊はネルツァカ殿が到着する直前にここへ来たのです。まだ我々の誰とも剣を合わせてはいない。つまりその傷はここに来る前にできたものだ。」
「ワシュウ殿は、そのノドモスとかいう馬車使いと戦ったということですか?」
「ネルツァカ殿はこの男の言う事を信用するのか?私はノドモスなどという男のことなど知らぬ。ましてや馬車使いなどと戦うものか!」
「知らぬと言うのか!」
トーレンは今までで一番大きな声を出しました。
「ワシュウ、お前がフェリノアの大元帥であるなら、ノドモスはリーガスの将軍、ノドモス・スウェイヴであるぞ。二人の戦いは十七年戦争のけりをつける誇り高き一騎討ちではなかったのか?!それを知らぬと言うのか!」
ワシュウは一言も返しませんでした。バドの兵士たちは、ノドモスがリーガスの将軍だといわれてもぴんと来ませんでした。ネルツァカはトーレンとワシュウの顔を見比べました。ワシュウは苦虫を噛み潰したような表情をしており、トーレンの目にはうっすらと涙がにじんでいました。ネルツァカが空を見上げると、薄い雲が広がり、晴れ間はわずかに望めるだけでした。

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第五章「嘆きの朝」【18】

セッツァは袋の中を覗き込みました。
「おい、こりゃ違うぞ。」

セッツァは袋の口を大きく広げ、ロリョートにも見えるようにしました。中にいたのはマレアで、しかも金髪でした。
「こいつは赤毛の女といっしょにいた娘だ。おい、赤毛の女はどこにいる?」
ロリョートも驚いていました。
「これはどういうことだ?何でこんな娘を連れてきたんだ。話が違うぞ。」
「俺はあんたたちの話に乗った覚えはない。」

チメメが怒り出しました。
「兄貴、こいつはとんでもない野郎ですよ。俺達をだましやがったんだ。こんな奴許しちゃおけねぇ、殺しちまいましょうや!」

ロリョートは黙って剣を抜きました。ロリョートの眉間にしわが寄っています。
「あんたを信じた俺達が悪かったんだろうが、それでも腹の虫がおさまらん。残念だが、その娘ともどもここで死んでもらおう。」
「待て、あんたたちのために連れてきたわけじゃあないが、この子こそ本当の赤毛の娘なんだ。」
「嘘をつくな、どう見たってその髪は赤くないぞ。この期に及んでそんな話が通用すると思うなよ。」
「嘘じゃないんだ、髪は染めているだけなんだ。遊牧民たちを欺くためにもう一人の娘の髪を赤くして、私はこの子を連れて逃げてきたんだ。」

チメメの興奮は鎮まりません。
「このやろう、どれだけ嘘を並べ立てりゃあ気が済むんだ?!兄貴、もういいでしょう。さっさと殺しちゃってくださいよ。」
「待てチメメ。…おいあんた、今の話だけじゃ確かに信用できん。何か他に証拠はあるか?」

スロンゼルは自分の袋の中からガラスの瓶を取り出しました。
「これを見てくれ。金色の液体が入っているだろ?これでこの子の髪を染めたんだ。それに日がたてばまた赤い髪が生えてくるから、それまで待ってくれ。」

セッツァも剣を抜きました。
「ロリョート、時間稼ぎかもしれん。」
「で、ではせめてこの子が目を覚ますまで待ってくれ。この子の目を見てくれればわかるはずだ。昔話の通りにこの子の目は真っ赤なんだ。それなら俺の話しを信じられるだろう?」

ロリョートはしばらく考え込みました。
「娘はいつ起きるんだ?」
「今日の夕方か、夜までには目を覚ますはずだ。」
「ロリョート、起きるまで待ってる必要なんか無い。今すぐ娘の目を開かせりゃいいんだ。」
「乱暴な真似はよしてくれ。赤毛の娘だからってだけじゃない、俺にとってはとても大切な子なんだ。」

セッツァはスロンゼルの言葉を無視して、マレアに手を伸ばしました。スロンゼルは震えながら自分の剣の柄に手をかけ、恐る恐る鞘から刀身を抜きました。セッツァはそれを見て鼻で笑い、先にスロンゼルを殺そうとしました。
「よせ、セッツァ。やたらと殺すもんじゃない。」
セッツァは舌打ちをしました。
「さっきはお前もこいつを殺そうとしてたじゃねぇか。」
「話が変わったんだ。夕方まで待つことにする。しかし、もしあんたの言ったことが嘘だったら、あんたもその娘もその場で切るぞ。」
「わかっている。」

セッツァがロリョートに耳打ちをしました。
「ロリョート、生かしておくのは娘だけでいいんじゃないか?男は後から何かと邪魔をしてくるような気がする。」
「いや、あいつがいたほうが娘も言うことを聞くだろう。余計なことをしたら、そのときに殺せばいいんだ。」

そして、マレアの入った麻袋はセッツァの馬に乗せられました。スロンゼルが逃げ出さないようにするためでした。”手負いの熊”盗賊団は北へ向かって進路をとりました。ロリョートはスロンゼルにリグ・ラへ戻ると話しました。スロンゼルは黙ってついていくほかはありません。周りを盗賊団たちに囲まれ、逃げることはできません。それにマレアを残していくことはできないので、彼は逃げる気にもならないようでした。ただ、彼にはこの先のことがまったくわかりませんでした。スロンゼルとマレアがリグ・ラに行くことをヤスブたちは当然知りません。恐らく彼らには二度と会えないだろうとスロンゼルは思いました。遊牧民たちとの戦いから生き残り、バドに帰る仲間が仮にいたとしても、その彼らはスロンゼルとマレアがいないことをどう思うでしょうか。

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