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第五章「嘆きの朝」【17】

ネルツァカの口調はとても穏やかでした。
「言うに及ばずだ。我々はリグ・バーグと喧嘩をしに来たわけではない。」

ワシュウの返事にネルツァカは満足げに微笑みました。
「ヤスブ殿はいかがでしょうか?」
「ワシュウ殿と同じです。逆らうつもりは微塵もありません。」
「それを聞いて安心しました。ではまずヤスブ殿からお話をうかがいましょう。ヌイレド、こちらへ来なさい。」

その名に即座に反応したユレイスは、着ていたマントで鼻と口を覆いました。そこに出てきた男は確かにあのヌイレドでした。ヌイレドはネルツァカよりずっと年上のようですが、ネルツァカにぺこぺこと頭を下げています。
「どうかな、ヌイレド。彼らは君が探している者たちに相違ないか?」
「間違いございません、オエ様。私が入手した目撃証言と一致しております。こいつらこそが赤毛の娘と旅をしている連中です。」
「ヤスブ殿、ヌイレドが言っていること、正しいかどうかお聞かせください。」
「確かにその通りです。我々が共に旅をしている者の中に赤毛の娘もおります。」
「あなた方の目的は赤毛の娘を連れてバドへ行くことですね?」
「はい、マセノアからバドへ彼女を連れてゆくことが我々の役目です。」
「なぜ彼女をバドへ連れてゆく必要があるのですか?」
「彼女を養女にしたいという方からの依頼を受けてのことです。」
「ネルツァカ様、赤毛の娘は黄金を生むのです。だからやつらは娘をバドへ連れて行こうとしているのでございます。」
「お静かに、ヌイレド。それでは次にワシュウ殿、よろしいでしょうか?」
「何なりと。」
「恐れ入ります。ワシュウ殿、今回のあなた方フェリノア軍の旅の目的をお聞かせください。」
「毎年恒例となっている遠征訓練だよ。今回は貴国にお邪魔させてもらったのだ。」
「しかし五百人で、というのは聞いたことがありませんな。」
「いかにも。いつもなら五十人ずつに班を分けて行うのだ。だが今回は大規模での移動を目的とした訓練だった。ゆえに五百人での行動となったのだ。しかしいくら貴国に遠征訓練の許可をもらっているとはいえ、この数は少々やり過ぎであったな。」
「ふむ。では遊牧民の格好をされているのも訓練のためですか?」
「そうなのだ。いや、まったく面目ない。鎧を着けた兵隊が動き回るよりも見た目にはよいかと思ったのだが、かえって怪しまれてしまったようだな。」

ワシュウの額には脂汗がじっとりと浮かんでいました。ケガの痛みもさることながら、このような苦しい言い訳をしなければならないことがとても情けなかったのです。
「ではこちらのバドの方々と小競り合いになったのは、これも訓練だといわれるのですか?」
「いや、これは決して訓練ではないのだ。どこかお互いに誤解があって、それがこのような形になってしまったのだと私は思っている。」
「ふむ、誤解ですか。ヤスブ殿、あなたもそのような見解をお持ちですか?」
「私はそうは思いません。我々は昨日の夕方ごろ、山から下りてそのまま西を目指して走っておりました。すると彼らの騎馬隊が我らの左右からやって来て併走してきたのです。当然我々はどちらにも避けることができず、同じように走らされました。予定と違う道を進むことしかできず、ずいぶんと無駄な時間を食いました。その騎馬隊が過ぎ去った後、我々は元の道に戻ろうとして夜通し走ったところ、この場所に出たのです。そして今朝、今度は歩兵隊が剣を抜いて我々に向かってきたのです。我々はこれ以上逃げることもかなわず、戦わざるをえませんでした。我々が一体どんな誤解をしたというのでしょう?」
「ヤスブ殿たちは身の危険を感じて戦ったということですね。それが誤解であるというなら、ワシュウ殿たちは一体何を誤解されたのか?」
「ヤスブ殿とそのお仲間には大変すまないことをした。わが部下の何人かが、彼らを盗賊の輩と勘違いしたのだ。賊の退治なら帰国の迷惑にもならず、それどころか貴国のためになると思ってやったことなのだ。」
「ではヤスブ殿たちのことを盗賊だと思い違いをしていなければ、彼らには何の用もなかったということですか?」
「そのとおりだ。我らとてフェリノアの正規軍、自分本位で殺生をするような真似はせんよ。」
「赤毛の娘に用事があったのではないのですか?」
「赤毛の娘?…一体何のことだかわかりませんな。」
「赤毛の娘を奪うため、ヤスブ殿とその御一行を襲ったのではありませんか?」
「ネルツァカ殿も思い違いをしておるようだ。我々は…」
「お待ちください。」

その声の主はトーレンでした。彼の目は充血し、憤りをこらえているようにも見えました。

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第五章「嘆きの朝」【16】

その軍隊がリグ・バーグのものであるということは誰の目にも明らかでした。リグ・バーグの紋章が入った鎧や盾、中には国旗を掲げている者もいます。先ほど聞いた太鼓は人の背丈ほどもあり、それが荷台に乗せられ馬で牽かれていました。角笛も格段と大きなものでした。フェリノアの北東部に生息するという山羊の一種でしょうか。その山羊は熊ほどの大きさがあるといわれています。リグ・バーグ軍は十列ほどに並んでヤスブたちのほうへ進んできました。やがて列の半分から左右に広がり、そしてヤスブたちと遊牧民たちを取り囲んでしまいました。その後も続々とリグ・バーグの兵士たちがこの戦場に列を成してやってきました。ヤスブもワシュウもそれを黙って見ているだけでした。そしてようやくリグ・バーグ軍の行進が終わりました。バドとフェリノアの軍を輪になって封じ込めた集団と、その周りに五列に並んだ集団が十六隊配置されています。ヤスブたちを囲む円の集団の中から、兵士が一人進み出ました。リグ・バーグの兵隊は皆緑色の鎧を着ていますが、その兵士はそれよりもっと深い緑をした鎧を身に着けていました。
「私の名はネルツァカ・オエである。このバーグ地方南方平和維持軍の総司令官である。兵の数は四千八百である。お前たちに勝ち目は無い、今すぐ剣を鞘に収めよ!」
ワシュウはすぐに味方の兵士たちに命令しました。
「言われた通りにしろ、剣を収めるのだ。そしてむやみに動く出ないぞ!」
ワシュウの命令に従い、フェリノア兵たちは次々に剣を鞘に収めていきました。次にワシュウは自分の隣にいた兵士にこっそりと耳打ちしました。
「ラゾイに送れ。オセアスを馬から下ろせ。他の兵たちに紛れさせよ。」
ワシュウの伝言を受けた兵士は自分の隣にいた兵士に今の言葉を伝えました。そして伝言を受けた兵士は隣の兵士に伝言を伝えました。ワシュウは右腕のケガの痛みに耐えながら、伝言がラゾイに上手く届くように願いました。伝言は素早く、そして正確にラゾイに伝えられました。ラゾイはすぐにオセアスに馬から下りるように告げました。リグ・バーグ兵の数に圧倒されていたオセアスは素直に従いました。オセアスは身を低くし、ゆっくりと馬から下りました。そして左足を引きずりながら、兵士たちの中に入っていきました。ラゾイはオセアスに付き添いながら周囲を警戒しました。フェリノア軍は再び危機に陥ったのです。しかも今度は隊列を整える云々では対処できません。オセアスを守りきれるかどうか、ラゾイにも自信がありませんでした。

             

ネルツァカは次にヤスブたちを一箇所に集めました。ネルツァカは彼らを見て驚きました。そこには兵士が九人いるだけでした。たったこれだけで五百人の敵を相手にしてきたのかと思うと、空恐ろしくなりました。マスグはアクベイに小声で尋ねました。
「ニダロはどうした?」
「恐らくまだ高台に潜んでいると思われます。」
「そうか、そのほうがいいだろう。」
マスグはフィレントの様子を見ました。フィレントは馬から落ちないようにしているのがやっとでした。彼はとても苦しそうな顔をしています。エゾンモールはエトンが何とか彼の鞘に収めました。トーレンは黙ったままです。ネルツァカは各陣営の指揮官に前に出るように言いました。ヤスブとワシュウがネルツァカの前に出ました。
「二人とも、私の質問に正直に答えてください。よろしいですね?」

二人は頷きました。
「いいでしょう、では名前をお聞かせ願います。」
「バド国、ヤスブ・ワイゼルン。」
「フェリノア国、クオネン・オド・ワシュウ。」

ワシュウの名を聞いた瞬間、リグ・バーグ軍がざわめきました。その名はリグ・バーグにも轟いていたのです。
「信じられません。大戦の英雄であるあなたにお会いできるなんて。」

ネルツァカは感激しているようでした。
「遠い昔の話だ。いまや引退間際の老兵よ。」
「何をおっしゃいます、ワシュウ様。お怪我の具合はいかがですか?」
「大したことは無い。話を続けてくれ。」
「わかりました。ではまず我々の話からいたしましょう。わかっておられるかもしれませんが、われわれは偶然ここにやって来たわけではありません。五百人の遊牧民がわがリグ・バーグを練り歩き、民を不安がらせているという情報を聞きつけました。我々はそのような事態の際に出動し、国民の不安を取り除くことを生業としています。あらゆる情報を集めることに時間を費やしましたが、ようやくこの騒動の収集に向けて動き出すことができました。我々平和維持軍の行動は全てリグ・バーグの法律で保障されています。したがって我々への反抗は本国に対してのそれと同じとみなされます。ご理解いただけますね?」

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第五章「嘆きの朝」【15】

その男の後ろから、さらに二人が進み出て、三人で並びました。
「これでどうだ、思い出しただろ?」
向かって左側にいる男が笑いながらそう言いました。そしてスロンゼルはようやく思い出しました。スロンゼルが彼らと出会ったのはリグ・ラです。酒場でトーレンとの会話を聞かれ、スロンゼルに儲け話を持ちかけてきたあの三人です。真ん中にいるのはロリョート、右にセッツァ、そして左のチメメです。チメメは続けました。
「ご覧の通り、俺たちは盗賊団を新たに結成させたんだ。その名も“手負いの熊”っていうんだ。どうだい、格好いいだろ?」
「それはリグ・ラでも聞いたよ。」
「おいチメメ、お前は黙ってろ。何度も言わせるな、お前はでしゃばり過ぎだ。」
ロリョートはチメメをにらみました。
「あんた達、まさか私らの後をつけてきたのか?」

スロンゼルの問いかけにロリョートはかぶりを振って答えました。
「いや、そうじゃない。俺がこの人数をかき集めている間にあんたたちは出発してしまったんだ。さすがに驚いたがそんなことであきらめるようなことはしない、俺はあんたたちが追われていることを思い出したんだ。フェリノアの軍隊があんた達を狙っている、そこから情報を集めたんだ。俺のすごい所はここからだ。たくさん集まった情報の中から関係あるものとそうでないものに振り分け、それらをうまく繋ぎ合わせたんだ。するとどうだい、赤毛の娘を連れたあんた達を追っているフェリノア軍ってのは今世間を騒がせている五百人の遊牧民、という結論に達したんだ。」
「大したものだ、盗賊にしておくのはもったいない。盗賊なんかやってないでもっと違った道に進んだほうがいいんじゃないか?例えば軍隊は?あそこはあんたのような頭の切れる奴を欲しがってるはずだ。」
「おい、ロリョートの兄貴を馬鹿にするなよ。兄貴は軍隊なんかにゃ興味がねぇ、兄貴は他人から金品を横取りするのが大好きなんだ。盗賊をするために生まれてきた男だぜ!」
「やいチメメ、チメメ、チメメ!!俺の唯一の失敗はお前を連れてきたことだ。これ以上何かしゃべってみろ、お前を殺してここにある死体といっしょに埋めてやるぞ。口をつぐめ、歯を見せるな!」
チメメは両手で自分の口を押さえました。
「まだ話は終わってない。俺たちは遊牧民を探した。すると意外にもあっさりと見つかったよ。よくよく考えてみれば五百人の大所帯だからな、いやでも目立つってもんだ。俺は遊牧民の後を追えば必ずあんたたちの元へいけると信じた。果たしてその通りになったじゃないか。あんたたちは奴らと一戦交えていた。だがあんたの姿が無い。今度は騎兵隊の様子を見に行った。すると馬車はあったが馬がつながれていない、まるで逃げた後のようだった。そして騎兵隊の中から一人が飛び出し馬で駆けていった。それが今ここに転がってる奴なんだが。俺はこれだ、と思ったね。そしてこいつの後を慎重に尾行してきたら、案の定あんたと再会できたというわけだ。完璧だと思うだろ、おい?」
ロリョートは満足げでした。大仕事をやってのけた高揚感に浸っているようでした。
「その袋の中に赤毛の娘がいるんだな?」
「ま、待て。この袋に手を出せばあんたたちもこの男のように頭を射抜かれるぞ。」
「その様子は俺たちも見てたよ。だから仲間に辺りを見張りに行かせてるところだ。」

仲間、と聞いてスロンゼルは愕然としました。このほかにまだ人数が集まっているとは思っていませんでした。
「俺だって伊達にリグ・ラに居座ってたわけじゃないんだぜ。時間をかけてもっと大勢の奴らに声をかけてたんだ。だからいざって時にこれだけの仲間が揃ったんだよ。」

ロリョートの仲間の一人が戻ってきました。
「お頭、そこらじゅう見て回りましたが誰もいませんでしたぜ。矢を撃った奴はどっかに行っちまったようです。」
「ご苦労、しかし念のためにもう少し見張りを続けておいてくれ。」
男は持ち場に戻っていきました。スロンゼルを助けてくれる味方はどこにもいないようでした。呆然とするスロンゼルを尻目に、セッツァは麻袋のほうへ移動し、袋の口を縛ってある紐を解きました。

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第五章「嘆きの朝」【14】

ふと気がつくと、馬の足音が大きく聞こえていました。始めは周りの木々に自分の馬の足音が響いているだけだと思いました。しかしそうではありませんでした。その音はとても短い間隔で、速い拍子を取っていました。ゆっくりと走っている彼の馬からそんな音が出るとは考えられません。ノドモスが戻ってきてくれたのだとスロンゼルは思いました。スロンゼルは振り返り、ノドモスを笑顔で迎えました。しかしそこにいたのはノドモスではなく、見知らぬ男でした。しかもその男は遊牧民の服装をしていたのです。スロンゼルは驚きました。その驚きで心臓が縮まったような気がしました。スロンゼルは馬の速度を上げました。マレアを落とさないように気をつけながらも必死で馬を走らせました。しかし、後ろの男はものすごい速さで迫ってきます。とうてい逃げ切れるものではありませんでした。遊牧民の男はスロンゼルの前に出て止まりました。この男はラゾイの手下、サウンです。彼はラゾイの指示でこの道を真っすぐ走ってきたのでした。
「おい、お前はどこから来た?」
「わ、私は近くの村から来たのでございます。」
「この近くに村など無いのだがな。それでは、お前は今からどこへ行くのだ?」
「は、はい…近くの村へ行くのでございます。」
「ふざけるな、お前はあのバドの連中の仲間であろう?」
「め、滅相もございません。私は本当にただの村人でございます。」
「強情な奴だな。おい、後ろの荷物は何だ?」
サウンがマレアの入っている麻袋を指差しました。
「こ、これは…作物でございます。私はこれを近くの村へ持っていって売るつもりなのです。」
「そうかそうか。よし、中身を見せてみろ。」
「え?!いや、これは売り物ですので、中は見せられません。」
「中を見て気に入れば俺が買ってやる。そうすればお前もこのまま帰ることができるのだ、いい話だろう?…いいから見せろ!」

サウンはスロンゼルの右側に回りこみ、麻袋に手をかけようとしました。スロンゼルは状態をひねらせ麻袋の上に覆いかぶさりました。
「だめです、触らないで!」
サウンは短刀をスロンゼルの目の前にかざしました。
「いい加減にしろ、世話が焼ける。死にたくなければそこをどけ、これ以上お前の相手などしておれんぞ!」
「ああ、お助けを…トーレン様…」

スロンゼルは目を閉じました。彼は暗闇の中でどさっと何かが落ちる音を耳にしました。そして、彼は静寂に包まれました。いつまでたっても遊牧民の男は何もしてきません。それどころか、押し黙ったままです。スロンゼルはそっと目を開けました。目の前には馬が一頭ぽつんと立っているだけで、乗っていた男はいませんでした。よく見ると、その男は馬の足元に倒れていました。彼は既に死んでいました。彼の眉間には矢が一本刺さっていました。スロンゼルは辺りを見回しました。この矢を撃ったのはニダロかアクベイだと思ったからです。しかし辺りには誰もいません。一体誰が助けてくれたのか、スロンゼルは不思議に思いました。彼は麻袋の口を開け、マレアの様子をうかがいました。彼女は死んだように眠ったままです。そして再び袋の口を閉じた彼には、少し元気が戻ってきました。
「もう少しで死ぬところだったが、何かの奇跡が起きて助かったのだ。きっとマレアを連れている私を神様が助けてくださったのかもしれない。私を救えばマレアが無事にバドへいける、そうなればバドが救われる。その私への褒美を先に与えてくださったのだ、きっと。」

スロンゼルは神に深く感謝しました。顔の前で手を合わせ、人差し指の先にそっと額を押し当て、静かに目を閉じて祈りを捧げました。この先も自分とマレアに神のご加護を、と心の中でつぶやき、彼は目を開けながら顔を上げました。彼は周りを取り囲まれていました。馬に乗った男たちが五人、いや十人はいました。スロンゼルには彼らが何者なのか、すぐにぴんと来ました。
「遊牧民の次は盗賊か、神様などいないのかもしれない。」

その中の一人が一歩進み出てきてスロンゼルに声をかけました。
「よう、ひさしぶりだな。」

その男の顔を、スロンゼルはすぐには思い出せませんでした。
「どうした、まさか俺のことを忘れちまったんじゃないだろうな?」
男はにやりと笑いました。

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第五章「嘆きの朝」【13】

「ぐうっ、おのれ…おのれ…」
ラゾイが辺りを見回すと、そこにもうユレイスの姿はありませんでした。ラゾイは自分の傷口を押さえました。
「まあいい、この悪あがきもあと少しで終わりだ。」

そしてついに、騎馬隊が合流しました。ヤスブの周りにいた遊牧民たちがさっと下がり、一本の道ができました。その先には馬上の老兵がいます。ワシュウです。彼は右腕を包帯で吊っていました。顔色も良くありません。しかしはっきりとした口調でヤスブにこう言いました。
「偉大なるバドの猛者たちよ、これまでよく戦った。貴殿らの奮闘に敬意を表そう。だが我々も多くの仲間を失った。貴殿ら全員の首をいただき、その慰みとしよう。観念せい。」

この状況で逃れる術はありません。それでもヤスブは全員が助かる道はないかと必死に頭を働かせました。目の前の老兵の顔に見覚えがありました。まだ大戦の始まる前、若き日のヤスブ・ワイゼルンはフェリノアの本城、オレルメアタールでこの老兵、クオネン・オド・ワシュウと出会いました。当時見習い騎士であったヤスブにとって、ワシュウは雲の上の存在でした。彼に見据えられた時、体に電流が走ったようにしびれたことをヤスブは思い出しました。バドへ帰る道すがら、先輩の騎士たちは口々にこう言いました。
「凄まじい威圧感だ。血族以外でフェリノアの王位を継ぐのであれば、それは間違いなくワシュウ殿であろう。」
「彼ともし一戦交えるとなったら、まず考えなければならないのは逃げ道だ。」
「彼は後世まで語られるほどの英雄になるだろう。恐らく我々はその引き立て役になるしかあるまい。」

その時は何と弱気な、と血気盛んな十代の青年は頼りない先輩たちに業を煮やしていました。しかし、彼にもようやくわかりました。その存在だけで戦況を一変させてしまったその実力を思い知らされたのです。ただ、今この距離であれば、周りの兵を振り切ってワシュウを討ち果たすことも可能です。今のヤスブにはその自信がありました。そうやって死んでいくのも悪くない、とそこまで思い彼は踏みとどまりました。それは単なる自己満足ではないかと自らを責めました。ここで自分の首を差し出したところで仲間は助からん、他の道を探せ、あがけ、どこかに光はある、と彼は考え続けました。しかし既にいくばくかの時間が過ぎてしまっていました。ワシュウにはヤスブと会った記憶はありませんでした。あの日彼はヤスブを意識することもなく、その顔を見ることさえしなかったのかもしれません。彼は目の前にいるバドの兵士の目が死んでいないことに気づき、腕の痛みが和らぐほどの喜びを覚えました。
「実に残念だ。貴殿のような勇気ある者がこんな所で命を落とす羽目になるとはな。」
「-ワシュウ様!」

ふいにワシュウを大声で呼ぶ声がしました。フェリノアの兵士です。その声に反応したワシュウは、同時に遠くから響いてくるいくつかの音に耳を澄ませました。それは、どーん、どーんという太鼓の音、獣の遠吠えを思わせる角笛の音、硬い金属がぶつかり合って奏でる鈴の根でした。そしてそれら全てがこちらに向かってどんどんと大きくなってきました。フェリノアとバドの兵士たちは見ました、地平線のかなたにぽつんと見えた黒い点が、やがて一筋の線となり、それが馬に乗った人の姿だとわかった時、それが途方もない数の軍勢であることにも気がつきました。その光景にはワシュウでさえも目を見開いたままでした。
「間に合わなんだ、か・・・」

彼は低く唸りました。

                  

スロンゼルは、ヤスブたちの戦場から延びている一本道を走っていました。いえ、走るというよりは急いで歩いていると言ったほうがいいかもしれません。あまり速く走ると、袋に押し込まれたマレアが落ちてしまうのです。それに、ノドモスがいなくなってしまった心細さからか、誰かに見られている気がしてなりません。彼は辺りをきょろきょろと見渡しながら走っていました、ゆっくりと。
「この先に村があるとノドモスは言っていたが、一体どこまで行けば着くのだろう?」
スロンゼルは、この道が正しいのかどうかさえ不安になってきました。一本道だと言いながら、どこかの脇道に入り込んでしまったのではないかと疑っていました。もし道に迷って同じところを走ってしまっているのなら、自分は一生このリグ・バーグをぐるぐると回り続けることになるのではないか、と思っていました。やがて道の両側に細く高い木がまばらに見えてきました。これでようやく同じところを走っているわけではないのだと少し安心しました。

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