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第四章「誓いの夜」【26】

ユレイスが戻ってきました。
「入り口には人っ子一人いませんでした。周囲には何の気配もありません。引き返すなら今しかないと思われます。」
フェリノアの罠がどこかに待ち受けているのは明白です。このままやすやすと逃げおおせる筈がないのはわかっていました。
「ここで敵が現れるのを待つぐらいなら、私はこの道を出ようと思う。もっと我々が戦いやすい場所が見つかるかもしれない。みんなはどうだ?」
ヤスブの意見に異を唱える者はいませんでした。皆、覚悟を決めたのです。問題はマレアをどうやって逃がすかでした。
「マレアを無事に逃がすことができなければ、我々は犬死だ。私はノドモスに一任しようと思う。」

これにはトーレンが別の提案をしてきました。
「ノドモス一人では心配です。スロンゼルもいっしょに行かせてはどうでしょう?スロンゼルはまじめでよく働きます、信用できる人間です。彼はバドへの道のりも知っているようですし、二人いれば一人に何かあったとしても安心です。」
ヤスブはスロンゼルが自分の計画を知らないことが気にかかりました。彼にどうやって説明すればいいか迷いました。しかしノドモスは計画のことを知っています。何とか納得させられるだろうと思いました。ノドモスに計画の内容を知られたことは結果的に好都合でした。
「いいだろう、ノドモスとスロンゼルに任せよう。しかしその話は後ほど彼らに伝えよう。今はとにかくここを出発するぞ。」

彼らはもと来た道を引き返しました。やがて左右の崖は低くなり、最初の平地へと戻ってきました。ユレイスの言うとおり、そこに敵の気配はありません。ここからの進路は北か南かの二通りがあります。北に向かうとリアライ・バーグという大きな町に辿り着きます。しかしリグ・バーグにも追われている身の彼らにとっては、そこに逃げ込むことが安全だとは言えません。ヤスブは南へ向かうことにしました。夜空には星がたくさん輝いています。星々の明かりが彼らの道を照らし出しています。一行の中には、今夜見るこの星空をもう二度と見ることはないかもしれないと思う者もいました。ニダロは故郷の妻と子供たちに思いを馳せました。フィレントはいつの間にか馬車の荷物の中から、父より譲り受けた大剣を引っ張り出していました。これを使うのは今度が最初で最後だと、彼は漠然と感じていました。マスグはピルセンに向かって、どちらがより多くの敵を切れるか競争だと、大きな声で話しています。マスグはそうやって自分自身を奮い立たせているのです。ピルセンにもマスグの気持ちはわかっていました。ピルセンはマスグに向かって軽くうなづきました。一行は夜通し馬を走らせました。そして朝日が大地を染め始めた頃、ヤスブ一行は高台の見下ろす緩やかな平地に到着しました。高台には高さの違う木々が雑然と生えていました。この木々の中に人が隠れても簡単には見つかりそうにありません。また、高台からヤスブたちのいる平地をはさんだ反対側にはぬかるんだ沼地が広がっていました。底の見えないこの沼地に足を踏み入れる愚か者など、まずいないでしょう。ここがヤスブ一行と遊牧民たちとの決戦の場です。彼らはここで五百人のフェリノア兵を待ち受けることにしました。ヤスブの一番の目的はこの戦いでの勝利ではありません。フェリノア兵たちに、”赤毛の娘”に化けたイオニーネというこちらの切り札を引かせることにあるのです。そのためにもヤスブたちは全力で抵抗しなければなりません。命がけで守るという調味料が効いてこそ、”偽者のマレア”に旨みが増すのですから。イオニーネの作戦を知っているのは兵士たちの中ではヤスブとトーレンだけです。あとの者たちは何も知りません。仲間たちが全てを知るのは、何もかもが終わってからのことです。もちろん知ることが出来るのは生きていられたらの場合です。

             - 第四章 完 -

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第四章「誓いの夜」【25】

「イオニーネ、俺だよ、レゴノートンだ。」
イオニーネは扉を開けようとして手を伸ばしました。
「開けないでくれ、イオニーネ。そのままで聞いてほしいことがあるんだ。」
レゴにとっては不思議なことでした。イオニーネに会いに来たはずなのに、今は顔を見ることができなくなっていたのです。きっと今彼女の顔を見てしまうと、ここまで耐えていたものが全て崩れ落ちてしまいそうな、そんな気持ちになっていたのです。
「何かしら?マレアが眠っているからあまり大きな声は出さないでね。」
「わかってるさ、すぐ終わらせるよ。」
しばらくの沈黙が流た後、レゴが話し始めました。
「俺が初めてイオニーネに会ったのは、この旅に出発する前日だったよな。あの頃から俺たちは妙に息が合っているというか、いい関係だったと思わないか?」
「そうかもしれないわね。ケンカもよくしたけど。」
「ああ、でもそれだってお互いに思ってることを遠慮無しに言いあえたってことだ。俺たち、これからもこんな風にいられたらいいと思うだろ?」
「どうしたの、レゴ?あなたちょっと変よ。」
「…はっきり言うよ、俺と結婚してくれ。」
「………」
「イオニーネ、今日はいつもと違うんだ。こんな事を言うのはこれで最後だ。俺は本当に君と結婚していっしょに暮らしたいんだ。子供もたくさん作って賑やかに生活したいんだ。俺はイオニーネを一生大事にするよ。だから、結婚してくれ!」
「…こんな大変な時に、何言ってるのよ?!」
「こんな時だからこそさ。自分の気持ちをちゃんと君に伝えたかったんだ。無事にバドに帰ったら式を挙げよう、みんなにも祝福してもらおう!」
「無事に帰れるといいわね。」
「そんな他人事みたいな言い方はやめてくれ。絶対帰るんだと強く願うんだ。俺と君で笑の絶えない家庭を作るんだ、素晴らしいだろ?」
「仕方ないわね。いいわ、レゴ、もし二人とも無事に帰れたら結婚しましょう。」
「本当か?!よし、ノドモス!ノドモスも聞いていたよな?あんたが証人だぜ?!」
「ああ、聞いとったよ。おめでとう。」
「ありがとう、ノドモス!じゃあ俺はヤスブ様たちのところへ戻るよ。またな、イオニーネ。」
レゴはそういってあわてて走り去りました。辺りは静けさに包まれました。イオニーネもノドモスも何も言いませんでした。ノドモスは自分がイオニーネにしてあげられることは何もないと思っていました。彼女にかける言葉もわかりませんでした。レゴのプロポーズはイオニーネの希望にはなりませんでした。明日か明後日か、近いうちに彼女は”赤毛の娘”としてヤスブ一行の元から引き離されるに違いありません。やがて彼女は、恐らくフェリノアに連れて行かれるのでしょう。そうなれば彼女がフェリノアを出ることは永久にありません。赤毛の娘でないことがばれたとしても、そうでなくても。

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第四章「誓いの夜」【24】

それはまさしくユレイスがヌイレドから聞いた、遊牧民と呼ばれる者の姿でした。それまでの苦労も空しく、ヤスブ一行はついに追いつかれたのです。その数は左右それぞれに数十騎ずついます。ヤスブたちは馬の速度を上げ、各々武器を手にしました。彼らはそれまでの疲労も忘れ、今からの戦いに緊張を高めました。ところが、遊牧民たちは一向に攻めてくる気配がありません。いつまでもヤスブたちと並んで走っているだけです。日が沈みかけていました。やがて道は緩やかに下り始めました。ヤスブ一行が走っている道だけが緩やかに下り始め、その左右の草原は平坦なままで続いています。ヤスブ一行はこの道を走るほかに手はありません。道は左右を小高い崖に囲まれるようになりました。ヤスブたちの頭の上では遊牧民たちがヤスブ一行を見下ろしながら併走しています。ヤスブたちはこの道に誘い込まれたのです。辺りはどんどん暗くなっていきます。ヤスブは全員の進行を止めました。崖の上の遊牧民たちは、立ち止まったヤスブたちをうかがいつつもそのまま走り去っていきました。暗闇にヤスブたちだけが取り残されました。辺りには物音一つしませんでした。そしてこの静けさは彼らに恐怖を与えました。馬車の中のイオニーネは、おびえるマレアの手をしっかりと握り、ついにこの時が来たことを悟りました。祖国バドを救うため、その身を投げ出す日が来たのです。

            

ともすれば途方に暮れて頭の中が真っ白になってしまいそうになるのを必死にこらえ、ヤスブたちは思考をめぐらせました。
「あの騎馬隊は五百もおりませんでした。せいぜい百五十といったところでしょう。残りの部隊は後ろから我々に近づきつつあるに違いありません。しかし前に進んでも騎馬隊が待ち伏せしているはずです。」
「奴らは歩兵部隊ではなかったのか?!」
「歩きのままでは追いつけないと思って馬を集めたんだろう。しかし五百を一度に集めるのは無理だったのだ。集まった分だけで先に我らを追跡したというところだろうな。」
「ではまだ残りの三百はここまで来てはおりますまい。今から引き返して、せめてこの道を外れましょう。こんな所では逃げ場もない。ぐずぐずしていて挟み撃ちにでも会ったら、それこそ一巻の終わりですぞ。」
「しかしそれこそ奴らの思う壺やもしれん。既に残りの三百余りも到着していて、この道の入り口で我々を待ち伏せしていることも考えられる。我々がこの道を引き返してくるのを手ぐすね引いておるのだ。」
ニダロが悲しげにこう言いました。
「ヤスブ様、我々はどうしたらよいのでしょう?」
「確かに我々は追い詰められた。しかし、ここでこうしていても何も始まらん。ユレイス、まずはこの道の入り口を探ってきてくれ。我々が引き返せるかどうかを。」
「御意。」

そういってユレイスはあっという間に闇の中へ消えていきました。レゴは夜空を見上げました。星がまばらに点在し、ちかちかと瞬いています。彼はむしょうにイオニーネの顔を見たくなりました。彼はそっと馬車に近づきました。ノドモスが首だけを動かしてレゴを見ていました。レゴは馬車の扉を軽くトントンと叩きました。イオニーネははっとしてまずマレアを見ました。そして扉に向かって答えました。
「誰?」

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第四章「誓いの夜」【23】

「ニダロに渡した物と同じ薬です。もちろん、ニダロとあなたでは体の大きさが違いますから、一回ずつの量は彼のよりも減らしてあります。一回につき一包みを飲んでください。決してそれ以上は飲まないでください。飲みすぎると二度と目を覚ますことができなくなりますからね。」
「ありがとう、ユレイス、助かるわ。それから、このことはみんなには黙っていてね。特にマレアには。あの子にそんな心配かけたくないのよ、お願いね。」
「わかりました。このことは二人の秘密にしておきましょう。」

イオニーネは袋を受け取り、この馬から立ち去りました。ユレイスは薬草の袋を全て片付け、再び刀の手入れに没頭しました。

               

ヤスブ一行はなだらかな山道を登っていました。はじめのうちは快晴の空の下、気分よく歩を進めていましたが、次第に大きな岩が見られるようになりました。やがて道は崖に挟まれ、その幅も狭くなっていきました。それでも天候に恵まれているうちは問題ありませんでした。しかし、山は表情を変え、ヤスブ一行に雨と風をもたらしました。ぬかるみに車輪を取られ、風にあおられた馬車は前へ進めなくなってしまいました。仕方なく彼らはその場にとどまり、雨と風が治まった頃には半日以上の遅れが出ていました。そこから再び歩を進めると、道幅は広くなり、彼らの右手にそびえ立っていた崖も徐々に消えていきました。しかし山道の勾配は急になり、馬たちの疲労も激しくなってきました。いよいよ馬も動けなくなり、日没前でしたが彼らは野宿せざるを得ませんでした。夜になると再び雨と風が激しくなりました。見張りをしていたアクベイはこの先の道を見つめ、進路が塞がれるのではないかと心配になりました。果たしてそれは現実となり、彼らの目の前には土砂と岩、そして大木が辺り一面を覆う光景が広がっていました。ここには迂回する道もなく、彼らは途方に暮れました。今から引き返して別の道を探す手もありますが、それでは少なくとも十日は無駄になります。五百人の遊牧民が迫る中、そのような時間の余裕はありませんでした。ヤスブはここで決断しました。
「馬と馬車が通れるように土砂と大木を取り除こう。ここで後戻りをしていては十日の遅れが出る。だから九日間でやり遂げよう。全員で協力してかかればできないことはないはずだ。イオニーネとマレアにも手伝ってもらうぞ。」
一行はすぐさま作業にとりかかりました。複雑に倒れこんだ木々を移動させ、うず高く積もった土砂を掘り起こし、馬車が一台通れるだけの道を造っていきました。途中、彼らが気をつけなければならなかったのは、再び雨で土砂崩れが起きないようにすることでした。もしそうなったら今度は自分たちまで生き埋めにされてしまうかもしれないからです。自分たちよりも高い位置にある土の壁を木で押さえて固めながら、慎重に前進していきました。顔に水滴が当たるたびに彼らは肝を冷やしました。しかし幸いなことに、霧によって視界が悪くなったことを除いて、天気が荒れることはありませんでした。土砂で塞がれた距離が比較的短かったことも彼らに味方し、作業は八日間で終了しました。彼らの疲労は頂点に達していましたが、休んでいる暇はありません。彼らは馬を下り、徒歩で山道を進みました。眠い目をこすりつつ、せめてこの山だけでも越えようとしていました。睡眠時間を極力短くして、彼らは先を目指しました。やがて道幅が広がり、地平線が彼らの目の高さまで下がってきました。ようやく山を越えたのだと安堵しかけた時、彼らは見てはならないものを発見したのです。既に道は平坦になり、その左右には草原が広がっています。そしてその草原の上を馬に乗って走っている者たちがいました。彼らは道の左右、ヤスブ一行を挟むように併走していたのです。彼らはみんなそろいのマントを羽織り、毛皮でできた大きな長靴を履いています。

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