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第四章「誓いの夜」【22】

「マスグ様の刀研ぎ、その役目は昔はピルセンが請け負っていたようですよ。」
「え、そうなの?!それは初耳だわ。」
「ピルセンは今でこそ国を越えて名を知られる二刀流の使い手ですが、彼がフィレントと同じ年のころには、やはり今のフィレントのようになかなか剣術が上達しなかったそうです。マスグ様はピルセンが兵士になった時から彼を可愛がっていました。もちろん武器の手入れもやらせていたようですけど。だけどピルセンが自信を持てるように手を変え品を変え、彼の適正を見極めていたりもしたのですよ。二刀流のヒントもそこから生まれた、と以前ピルセンは語っていました。恐らくマスグ様は今フィレントに対しても、ピルセンの時のようにご指導しておいでなのでしょう。マスグ様は決して怒鳴り散らすだけの方ではありませんから。いつかフィレントに合った戦い方を考え付かれるのだと思いますよ。」
「マスグ様がそんなに部下思いだとは知らなかったわ。人は見かけによらないものね。それにユレイス、あなたも最近ますますよくしゃべるようになったわね。これなら、好きな女性の前に出ても自分の思いを伝えられるようになるかもね。」
ユレイスが刀の手入れの動きを止めました。彼の頭の中はフランネのことでいっぱいになりました。彼はフランネの前でうまく話せなかったことを思い出しました。自分の言葉をもっとたくさん届けることができればよかった、それがフランネに対しての後悔なのです。イオニーネが彼の顔を覗き込みました。
「ユレイス…私余計なことを言ったのかしら?」
「いいえ、違います。そういうことではありません。…それよりも、何か私に用事があってここに来たのではないのですか?」
またイオニーネは笑い出しました。
「そうだったわ。私ったら大事なことをすっかり忘れてた。私ユレイスにお願いがあってここに来たのよ。…薬が欲しいの。」

ユレイスは戸惑ったような、笑ったような複雑な表情をしました。
「薬…ですか?あなたたちの馬車の中にも薬はあるはずですが。」
「ケガや病気の薬じゃないわ。その、私、最近よく眠れないのよ。一睡もできずに朝になってしまうこともあるの。眠れる薬、ユレイスなら持っているんじゃないかと思って。」
ユレイスはイオニーネの顔をじっと見つめました。
「本当に眠れないのよ。私をそんな図太い女だと思わないで!」
ユレイスは笑顔で手を振るしぐさを見せました。
「違いますよ、実はあなただけじゃないんです。ニダロにも同じことを言われたんです。」
「ニダロが?彼が眠れないの?信じられないわ。」
「どうやら、家族に会えないことで少々まいってしまっているようなのです。」
「ああ、そうね、そうだったわね。」
二人の言葉が途切れました。故郷を離れての長い旅が少なからず仲間の心を蝕んでいたのです。ユレイスは自分の荷物の中から袋を一つ取り出しました。その袋の中には小さい袋がいくつも入っていて、その一つ一つに薬草の名前が書かれています。彼はその仲から袋を三つとって中身の薬草を出し、道具を使ってそれらをすりつぶし始めました。イオニーネは彼の行為を物も言わず眺めています。すりつぶした三種類の草を混ぜ合わせ、小さな紙数枚に分けて包み、それを新しい袋に入れてイオニーネに差し出しました。

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第四章「誓いの夜」【21】

トーレンはさらに低く抑えた声でスロンゼルにこう言いました。
「いざという時が来たら、おまえ一人ででもマレアをバドへ連れて行ってもらいたいのだ。」
「い、いざという時とはいったいどういうことですか、トーレン様?!」
「最悪我々が旅を続けられなくなるかもしれん。その時だ。」
「そんな恐ろしいことが本当に起きるのでしょうか?」
そこでトーレンは自分が推理したヤスブの計画をスロンゼルに聞かせました。スロンゼルは驚きで体が震えました。
「スロンゼルよ、最悪の時とはあくまでも最悪の時だ、必ず起こるというわけじゃない。しかし、相手はフェリノアの兵士、しかも五百人だからな、その可能性も捨て切れんよ。だがそれすらも予想できることだ。大事なのは、例え我らが全滅したとて、マレアさえバドに着ければ良いということだ。ヤスブ様はその役目をノドモスにやらせるつもりだが、スロンゼル、私はお前に任せたい。」

スロンゼルの体は、今度は感激で震えていました。
「何と、そのような大役を私ごときに仰せつかうとは…」

トーレンはスロンゼルを心から信用していました。スロンゼルはそれを知り、安堵しました。
「しかし私にできるでしょうか?」
「やるのだ、スロンゼル。お前にはまずバドへの道のりを覚えてもらおう。ただ闇雲に西へ走ればいいというものでもない。遠回りしなければならない場所もある。あらゆる進路を頭に叩き込むのだ。大変だろうが頑張ってくれ、お前ならきっとできるはずだ。だが今話したことは他の者には内密にな。それから、少し剣術でも覚えてみるかね?」
トーレンは無邪気に微笑みながらスロンゼルの馬車から離れました。トーレンはこれでまた一つの計画の穴を埋めることができたと満足していました。スロンゼルもまた満足でした。トーレンから与えられた任務は難しいものですが、自分を信じてくれているトーレンのためにもやってみよう、その上でマレアの幸せのことも考えようと思っていました。

             

その日の夜、イオニーネはユレイスのところへ行きました。ユレイスは一人で自分の短刀の手入れをしていました。柄から刃をはずし、と石で刃を研いではその具合を真剣に調べています。あまりに熱中して、ユレイスは彼女が近づいていたことにも気づきません。
「ユレイス、ちょっといいかしら?」
彼はあわてて刃を落としそうになりました。
「イオニーネでしたか、驚きました。」
「あら、驚かせるつもりはなかったし、私が来たことを知らないとも思わなかったわ。ユレイスは刀の手入れがすきなのね、私でも後ろを取れるぐらいなんだから。」

そう言ってイオニーネは笑いました。ユレイスはゲジョルに後ろを取られたことを思い出していました。あの時は二度殺されかけました。今回はあの時ほどの悔しさは無いにしても、自分はよくよく後ろを取られるものだとユレイスは思いました。
「その点マスグ様は大雑把よね。血が付いてたって水で流して終わりなんだから。切れ味が鈍ってどうしようもない時はフィレントに研がせてたわよね。かわいそうなフィレント、マスグ様のあんな重たい刀を手入れしなきゃならないなんて。私だったら刀を崖の上から放り投げてやるのに。」
「そんなことができるのは、世界中探してもあなただけですよ。」
そう言いながらユレイスは彼女に座るように促し、イオニーネは話しながら近くの草の上に腰を下ろしました。

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第四章「誓いの夜」【20】

「ちょっと、そりゃイオニーネにはかなわないけど、私だって踊りは小さい頃からやってるのよ。踊りを見る目ぐらいはあるわ。私には剣術のことはさっぱりわからないけれど、剣も踊りも結局同じことだと思うわ。それでも自信が持てないなら、しょうがないわね…これで最後よ、何度も言わないわよ!フィレント、あなたには才能があって、そしてマスグ様や皆はあなたに期待しているわ。フィレントが実力を発揮できるようになることを皆が願っているわ。それは私も同じで、フィレントにはあきらめないでほしいのよ。」
「僕にできるかな?」
フィレントは自信なさげな声を発しました。
「私を守るのがあなたの役目よ、前に自分でもそう言ったじゃない!」
フィレントは何か言いたそうにしています。
「私、フィレントに守ってほしいの。フィレントじゃなきゃ意味がないわ。」
「マレア…。」
「ううん、それはただのわがままなの。本当は私を守れなくってもいいのよ。だけど、最後までそばにいるって約束して。それだけは絶対に約束して。」

マレアの目には涙がたまっています。
「悪い予感がするの。離れ離れになってしまいそう。皆ともいっしょにいられなくなるような気がするわ。だからフィレント、そばにいて…」
フィレントはマレアをしっかりと抱きしめました。彼女の体は小さく震えていました。フィレントは初めてマレアに会った頃の気持ちを思い出していました。あの時は怖いもの知らずで彼女を守ると言っていました。しかし今の自分にそんな大それたことは言えません。
「そばにいるよ、マレア。僕は君と離れない。何があっても君のそばを離れない。僕にはそれしかできないけど、約束するよ。」

              

近頃トーレンはスロンゼルとばかり話をするようになりました。トーレンはスロンゼルからの絶対の信頼を感じていました。それが今のトーレンにとっての唯一の安らぎなのです。今日もまた、馬車を操るスロンゼルの元へと彼は自分から馬を寄せていきました。一方のスロンゼルは不安を感じていました。リグ・ラでの盗賊たちとの一件以来、トーレンが自分のことをいったいどれくらい信用してくれているのか、スロンゼルにはわからなくなっていました。こうしてトーレンと話をしていても、スロンゼルの頭の中をよぎるのは、どうしたらトーレンにもっと信じてもらえるのか、そのことばかりでした。その時スロンゼルはふと思い出しました。あの日大変なことを立ち聞きしてしまったことを。自分ではどう大変なのかはわかりませんでしたが、とても重要な秘密だと感じていました。そしてそれはトーレンから聞いた昔話で確信しました。あの日イオニーネとノドモスが話していたのは、マレアに関する重要な秘密だったのです。スロンゼルはイオニーネとノドモスの、あの会話のことをトーレンに語って聞かせました。今度は他の誰にも聞かれないように押さえた声で、自分が覚えている限りの詳細をトーレンに教えたのです。スロンゼルの話を聞いたトーレンは意外に冷静でした。なぜならようやくこれまでの謎が解けたからです。あの夜、ヤスブとノドモスが何を話していたのか、なぜノドモスはあんなに怒っていたのか、トーレンは今はっきりと理解できたのです。同時に、彼はヤスブの恐ろしさを知りました。目的のためとはいえ、今までずっといっしょに旅をしてきたイオニーネをいけにえに捧げるつもりでいるのです。
「スロンゼル、おまえはバドへの道を心得ているか?」
突然そんなことを言われて、スロンゼルは戸惑いました。
「一人ででもバドへ行けるのか、と聞いているのだ。」
「いえ、私はリグ・バーグを出たことがありません。バドまで一人で行くのは難しいでしょう。」

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第四章「誓いの夜」【19】

マレアはニダロと笑顔を交わしつつ、フィレントへちらちらと視線を移します。ふっと顔を上げたフィレントと目が合いました。でも彼はすぐに彼女から目をそらしました。フィレントはその場を離れていきました。マレアはフィレントのことが気になって仕方ありません。踊りが終わって、マレアは皆に大きく手を振りながらその場を退き、すぐにフィレントの後を追いました。フィレントは一人ぽつんと岩場に座っていました。マレアは彼に声をかけました。彼はマレアのほうへ振り向き、力なく微笑みました。マレアはフィレントの隣へ座りました。
「今日はずっと元気がないのね、いったいどうしたというのかしら?」
「僕のことかい?」
マレアはフィレントをひじで小突きました。

「他に誰がいるというの?!私は誰もいない夜空に向かっておしゃべりなんてしないわ。」
「そんなことわかってるよ。ただ、僕のことを気にかけてくれているのかどうかわからなかったから聞いたんだ。」
マレアはきょとんとしました。
「どういうこと?私はずっとフィレントのことを心配しているのよ。」
「ありがとう、マレア。だけど僕は皆からは相手にされていないと思うんだ、特にマスグ様からは。」
フィレントの顔はどんどん下へ向いていきます。
「俯くのはやめて、フィレント。そんなの体によくないわ。ちゃんと私を見て話して。わかったわ、マスグ様に何か言われたのね?」

フィレントは顔を少し上げましたが、マレアのほうは見ていません。どこか一点を見つめながら彼はこうつぶやきました。
「逆だよ、何も言われなかったんだ。マスグ様は僕に何も声をかけてくれなかった。レゴとはたくさん話をしていたのに。マスグ様は僕に期待していないんだよ。誰も僕の事なんか見ていないのさ。」
マレアはフィレントの肩に静かにもたれかかりました。フィレントとマレアはお互いのぬくもりを感じました。フィレントは彼女のほうをちらりと見ました。マレアは目を閉じてフィレントに語り掛けました。
「マスグ様はフィレントを見捨てるような人じゃないと思うわ。マスグ様が何も言わないのは、フィレントを焦らせないように静かに見守っているだけよ、きっと。フィレントには才能があるわ。マスグ様にはそれがわかっているから、ゆっくりと教えていこうと思っているに違いないわ。」
「僕に才能があるなんて、どうしてマレアにわかるんだい?」
マレアはぱっと目を開きました。そして自信満々にこう言うのでした。
「踊りよ。」
「踊りだって?!」
「フィレントの踊りにはよどみがないの。例えて言うなら川のせせらぎね。高い所から低い所へ、水しぶきを飛び散らせることなく、川底を濁らせることもない。あなたの流れるような動きは天性のものよ。剣術だって体を使うのは踊りといっしょじゃない。あれだけの踊りができるんだから、剣術だっていつかできるようになるわよ。」

フィレントはマレアを見ています。しかし彼の目には半信半疑の色がありありと浮かんでいます。

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