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第一章「初恋とカリスの実」【15】

別れの朝は静かにやってきました。その日の白森の村はとてもよく晴れていました。この村の収穫期はほとんど終わりを迎えていました。畑の木々には果実の姿はすでにありませんでしたが、その香りは村中を包んでいました。サグ家ではつつましやかな朝食がとられていました。この食事が終わったらマレアはディスマン氏の館へ行き、それからいよいよバドへ向けて旅立つのです。食卓ではみな一言も語らず黙々と食べ物を口へ運んでいます。おしゃべりなシノンも黙っていましたが、突然意を決したように話し出しました。「お姉ちゃん、私も行っちゃだめ?」妹の急な申し出にマレアも驚きました。「私、お姉ちゃんといっしょにいたいの。ひょっとしてお願いしたら許してくれるかもしれないわ。そしたらお姉ちゃんも寂しくないでしょ?」「だめよ、シノン。私は1人で…」そこまで言ってマレアは言葉を詰まらせました。今までこらえてきたものが急にあふれ出したようでした。今度はシノンが驚きました。ミロアがシノンの肩に手を置き、こう言いました。「シノン、マレアを困らせてはだめよ。」本当は自分も愛しい娘についていきたいのですが、それもかないません。母の歯がゆい思いを察してか、シノンは泣いている姉を見つめるばかりです。そこへ玄関をノックする音がしました。デムが立ち上がり、扉を開けました。そこにはヤスブが立っていました。後ろには昨日もここに来た2人、マスグとトーレンがいます。ヤスブは家の中の雰囲気を見て、来るのが少し早かったと後悔しました。「おはようございます、サグさん。すいません…まだお食事中でしたか。マレアの支度ができたら呼んでください。外で待っています。」「いえ!もう終わりました。大丈夫です。」マレアは目元をぬぐうようにして立ち上がりました。そして小さな鞄を持ち、ヤスブの元へと行きました。「いいのかい…?」「はい。」マレアはヤスブの後について外に出て行きました。シノンもそれに続き、ミロアとデムもゆっくりと歩いていきました。表にはすでに村人たちが集まっていました。その中にはキオやルイル、パティンの姿もありました。ヤスブが先頭を歩き、すぐ後ろにマレアが続き、少し間を空けてマスグとトーレンがやや緊張した面持ちで後ろを守るように歩いています。彼らにしてみれば思ったよりも村人の数が多かったのが誤算でした。村人たちも彼らの後についてゾロゾロと歩いています。ヤスブたちは村人に監視されながらディスマン氏の館へと急ぎました。館の門の前には、すでに他の兵隊たちが準備を済ませヤスブたちの到着を待っていました。ヤスブはそのままマレアを馬車へと連れて行きました。馬車の戸が開くと、そこには1人の女性が座っていました。その女性は金髪で目が青く、年の頃ならマレアよりも十は上といった感じでした。

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第一章「初恋とカリスの実」【14】

そしてデムの目の前にあるテーブルの上には、皮袋が3つ置かれました。「袋の中を見なさい、デム。」ディスマン氏に命ぜられ、デムは恐る恐る皮袋の口を縛ってある紐を解きました。そして中から出てきたのはたくさんの金貨でした。デムはその数の多さに驚き、そしてまたその意味に愕然としました。「これは私からではなく、ヤスブたちが持ってきたものなのだよ。バドにいる私の知人からの気持ちなのだよ。これだけあれば、ミロアの薬を買うのに5年は困らないはずだ。彼女に苦しい思いをさせないですむ。マレアもきっと安心するだろう。」バドの大富豪がミロアの病について知っていたかどうかは、ディスマン氏にも定かではありませんでした。しかしこう言う事によってデムの罪の意識を少しでも減らす事になると彼は思ったのでした。事実、デムの意思は大きく揺らいでいました。こんな大金を出せる人の養女になるのなら、マレアも幸せに暮らせるに違いない。そしてミロアにも薬を飲ませてやる事ができる。そんな考えと目の前の金貨の山にデムはやがて心を奪われていきました。「よく考えるのだよ、デム。そして君の家族みんなが幸せになる道を選びなさい。」

                 

翌日、マレアはバドの大富豪の養女になることが決まりました。キオもその話を聞きました。キオの体は驚きも悲しみも感じられませんでした。それはルイルやパティンも同じでした。シノンは1人で大きな声を上げて泣きました。近所にも響き渡るほどの大きな泣き声でした。ミロアは耐えていました。娘との不意の別れに自分がおかしくなってしまわないように、じっとこらえていました。マレアは不思議と落ち着いていました。自分が取り乱す前に母や妹の悲しむ姿を見てしまったからなのか、それとも既に覚悟ができていたのかはわかりません。どちらにせよ、彼女は今は泣いてはいけないと感じ取っていたのでした。デムは自分でもわかりませんが、農園に行く支度をしていました。彼はいたたまれなくなっていました。彼はお金をもらった事をマレアにもミロアにも話していませんでした。それはディスマン氏からの忠告でした。もしマレアに話せば、彼女は自分がお金で売られたと思ってしまうでしょう。そしてミロアに話せば、自分のせいで家族が離れ離れになってしまうと思うでしょう。しかしサラヴィスに言われるまでもなく、デムはこの事を家族に告げる気にはなれませんでした。マレアの出発はあさってになりました。旅の準備には大して時間をとられませんでした。もともとマレアはそんなに多く荷物があったわけでもなく、さらにヤスブの方からも必要な物は全て向こうでそろうから持っていかなくてよいと言われていたのでした。余った時間を彼女は農場でカリスの実を摘んで過ごす事にしました。シノンも母に連れられて収穫の手伝いにやって来ました。4人は黙々と作業をこなしました。マレアは時々家族一人一人の顔を見やりました。これが家族そろっての最後の収穫になると彼女は感じていました。

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第一章「初恋とカリスの実」【13】

デム・サグはディスマン氏の館にいました。呼ばれた理由はわかっていました。マレアのことです。しかし彼はこの申し出を断るつもりでいます。どうにも腑に落ちない点があるのです。そもそもなぜバドなのか?あんなに遠くの国の人がどうしてわざわざこんな異国の片田舎に住む娘を養女にしたいと言っているのか、それがわからないのです。自分の家にやって来たヤスブの話によれば、そのバドの大金持ちの人は以前にマレアと会ったことがあるというのです。数年前、マレアがまだ8歳になるかならないかの頃でした。白森の村の隣の隣、メイベリエ町の市場に彼女は父親といっしょに来ていました。デムが用事を済ませている間、マレアは1人で遊んでいました。その時彼女は、道にうずくまり苦しそうな表情をした男性を見つけました。具合の悪そうな男性を、彼女はその小さな体で病院まで運んであげようとしました。もちろんそれは無理な話で、結局はそこを通りがかった別の人が助けてくれたのです。その助けてもらった男性というのが、例のバドの大富豪だというのです。デムはそんな事はまったく知りませんでした。でもマレアはその事を何となく覚えていました。その人はマレアの赤い髪の毛を覚えていました。そしてその人には子供がおらず、ぜひマレアを自分の養女にと、ずっと探していたそうです。それでもデムにはこの話は信じ難かったのです。デムはディスマン氏の書斎へ案内されました。中に入ると、ディスマン氏が1人で待っていました。ヤスブはいないようです。「悪かったね、デム。いきなり呼び出してしまって。」「い、いえ。そんな事ありません…。」緊張してか、デムはディスマン氏にすすめられてもなかなかソファーにも座らずにいました。そしてようやくデムが腰を下ろし、2人の話が始まりました。「話というのは他でもない、マレアの事なんだよ。ヤスブから大体の所は聞いていると思うがね。」

           

ディスマン氏の農場のサグ家の区画ではミロアが忙しそうに働いていました。今日ばかりはシノンも文句も言わずに黙々と収穫の手伝いをしています。加えて言えば、キオもルイルもパティンもそれぞれの家でおとなしく仕事をしていました。でもマレアは自分の家にいました。部屋に閉じこもっています。自分の将来がどうなるのか心配で、外に出ることもできずにいたのです。シノンは姉のことももちろん心配ですが今は母の方もきがかりです。何も言わずに働いていますが、顔色が悪いのです。もともとミロアは健康な方ではありませんでした。それはシノンを生んだ後ますます悪くなったようなのです。ここ数日は調子も良かったのですが、今朝の騒動でまた具合が悪くなってしまいました。薬を定期的に飲めれば問題ないのですが、サグ家にとってその薬はとても高価なものでした。マレアがバドの大富豪を助けたその日、デムはメイベリエ町の知人に、薬を買うためのお金を借りていたのでした。

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第一章「初恋とカリスの実」【12】

ディスマン氏の館の書斎にいるディスマン氏のところに、あの無精ひげの男がやってきまた。「おや、ヤスブさん。もうお話は終わられたのですか?」無精ひげの男はヤスブと呼ばれました。ディスマン氏に促され、ソファーに深く腰掛けたヤスブはデム・サグに用件を伝えてきたことを話しました。「後は彼がこの話を素直に受け入れてくれるのを願うばかりですよ。もしそれが無理となれば、われわれはこの村の人間全員を敵に回すことになるでしょうからね。」ヤスブの、この遠まわしの脅しともとれる言葉にディスマン氏も少なからず緊張を覚えずにはいられませんでした。「しかし既にあなた方はみんなに警戒されていますよ。村の人という者は、とかく外からの人間には心を開きにくい一面があります。それでなくともあなた方は腰に大剣を携えた兵士です。その兵士たちが村に住む1人の少女を連れて行くというのは彼らの不安をいっそう駆り立てるものになるでしょうな。」ヤスブは目線を下げ苦笑しています。「ディスマンさん、あなたの言うとおりです。われわれはこの村に入ってきた時点で過ちを犯していました。剣をぶら下げてくるべきではなかったのです。ですが今となっては仕方がありません。そこであなたにお願いがあるのです。厄介なことにならぬよう、お力を貸していただきたいのです。」ディスマン氏は少し考えているようです。「マレア・サグにとっても良い話だとは思いませんか?少なくとも暮らしに困るような事はなくなるはずです。それをディスマンさんからデムにお話していただきたいのです。」確かにお金持ちの家の養女になれば満たされた生活を送ることができるでしょう。ただそれが本当に彼女のためになるのか、ディスマン氏は考えていました。その反面もしデムがこの話を断れば、今この館にいる10人の兵士たちは何か恐ろしい事をするかもしれないという心配もありました。それからヤスブの説得はさらに続き、最終的にはヤスブの言うとおりにデムに話をしようと決めたのでした。ヤスブは今すぐにサグ家に向かう準備をするようにディスマン氏に頼みました。「いやヤスブさん、それよりもデムにここに来てもらうとしましょう。」

                 

時はお昼を少し回ったところでした。マシュル家では畑での昼食がとられていました。そこにキオたちはあわててやってきました。キオは昨晩の父親との約束をすっかり忘れていましたが、彼の姿を見てそれを思い出しました。しかしゴルは何も言いませんでした。シアが子供たちを優しく迎えました。「キオ、もうお昼よ。みんなも食べていきなさい。」しかしキオたちには座るより先に聞きたいことがありました。そこでようやくゴルが口を開きました。「話があるから、みんな座りなさい。」みんなが腰を下ろしてから、ゴルは村長に聞いてきた話をゆっくりと、言葉を選びながら子供たちに話して聞かせました。それはやはりシノンの言うとおり、マレアが遠くに行ってしまうかもしれないという内容でした。キオたちは言葉もありませんでした。これまでずっと憧れてきた彼女が急に目の前から消えてしまうという事が、夢か現実かわからなくなってしまったのでした。

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