第六章「野犬の長」【11】

「わからない。」
「わからないって!じゃあどうして走り出したんだよ?」
「呼ばれた…」
「誰に?」
「…わからない…」
「何もわかってないじゃないか!それなのにどうして走ったりしたんだよ?」
「本当に何もわからないけど、誰かに呼ばれた気がしたんだ。」
キオが二人のところへやってきて、二人の間に割り込みました。
「またけんかしてるの、こんどは何?」
「僕、こうしてられないよ、行かなくちゃ。」

パティンは再び走り出しました。キオも彼の後を追いました。
「何でキオまで行くんだよ、勝手に行かせればいいだろ!ほっとけよ。」
「でも気になるんだ。とにかく行ってみるよ。ルイルはどうするの?」

ルイルは黙っていました。またキオのペースに乗せられそうで、それがしゃくに障りました。そうこうするうちにパティンの姿が小さくなっていきます。
「ルイルも後から来て!僕はもう行くよ。」

そう言ってキオはパティンの走ったほうへ向かいました。ルイルはぽつんと取り残されました。彼はひとりでここにいてもつまらないと思いました。彼はキオの走っていった方向へ走り出しました。

              

パティンはその光景を見たとき、頭の中が真っ白になりました。何が起きたのか容易には理解できなかったのです。彼の目の前には、背中をこちらに向けて倒れているミロアと、彼女に向かって泣き叫ぶシノンの姿がありました。パティンもまた、シノンと同様に最悪の事態が頭をよぎりました。それは後からやってきたキオとルイルも同じでした。三人の気配に気づき、シノンが顔を向けました。
「お母さんが死んじゃう、どうしよう!?」
ですが、この状況で子供たちだけでできる事はあまり多くありません。
「誰か大人を呼びに行ってくる!」

パティンが行こうとしたのを止めたのはルイルです。
「俺が行くよ。俺のほうが早く行ってこれるんだから。パティンはここにいろよ。」
「じゃあ僕も行く。」
ルイルとキオは走り去りました。パティンは泣いているシノンの横に座り、ミロアの様子を見ました。彼女はとても苦しそうです。ぜいぜいという声を聞いていると、こちらまで胸が締め付けられるようでした。
「大丈夫だよ、シノン。お母さん死んじゃったりしないよ。」

パティンにはそれだけを言うのが精一杯でした。何もできない自分をただ歯がゆく思うだけでした。キオとルイルはサグ家の農園を抜け出ました。
「どこに行けばいいんだ?」
ルイルは焦った声を出しました。キオの視界に真っ先に飛び込んだのは、大きなお屋敷の赤い屋根です。
「ディスマンさんの家に行こう!」

二人は一目散に駆け出しました。ディスマン氏の邸宅は四方を高い壁で囲まれています。出入り口は表と裏に門が一つずつあり、昼間は表門から誰でも自由に出入りができます。二人は表門から中に入り、正面の玄関へ続く道を走り抜けました。玄関の大きくて硬い扉を何度も叩き、ディスマン氏を呼び出しました。
「ディスマンさん、ディスマンさん、開けてください!」
しばらくすると扉がゆっくりと開き、中から使用人のヒャトンじいさんが顔を覗かせました。ヒャトンじいさんは二人を見てにっこりとしました。
「これはこれは、かわいらしいお客様だ。」

キオとルイルは息を切らして彼を見上げています。
「一体どうしたんだね?そんなに慌てて…」
「シノンのお母さんが農園で倒れたんです。助けてください!」

ヒャトンじいさんの表情がすっと変わりました。彼はパン、パンと大きく手を打ちました。
「セーロ、ツォノ、ちょっと来ておくれ!」

すると奥のほうから若い女性が二人、小走りでやってきました。二人ともディスマン氏の家政婦です。セーロは大柄で、セーロより少し背が低くやせているほうがツォノです。
「ヒャトンさん、お呼びですか?」
「ミロアが農園で倒れたそうだ。ツォノは旦那様にこのことを知らせなさい。セーロはこの子達と先に農園に行っておくれ。私は馬車に乗っていくから。」

ツォノはすぐにディスマン氏のいる二階へ上がって行きました。セーロはキオたちに向かってこう言いました。
「ミロアのところへ案内してください。」

キオとルイル、セーロの三人は農園へ急ぎました。

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第六章「野犬の長」【10】

そこへたまたまパティンとシノンが通りかかりました。
「あ、ルイルだわ。ルイルが来てるわ。」
ルイルの名を聞いて、彼には珍しく素早い反応を見せました。パティンの視線の先には、キオの隣で顔を下に向けたルイルがいました。ルイルとパティンはそのままで動こうとしません。そこでシノンがまず声をかけました。
「ルイル、どうしたの?」
答えたのはキオです。
「ルイルも手伝いに来てくれたんだよ。」
「本当に?!ありがとう、ルイル。」
シノンは素直に喜びました。ルイルとパティンはまだ固まったままです。
「ルイル、パティンに何か言いたいことはない?」
「別に、何も無いよ。」
「本当に?じゃあパティンは?ルイルに言っておきたいことがあるんじゃないの?」

パティンはもごもごと何か言いました。
「え?」
キオが聞き返しました。
「僕はお人好しなんかじゃない…シノンやシノンのお母さんが困ってると思ったから手伝ってるんだ。シノンは友達だから。それなのに、どうして手伝っちゃいけないの?」
ルイルはびっくりしました。パティンが自分の思っていることをこんなにはっきりとしゃべったのを聞くのはこれが初めてでした。
「わ、悪いなんて言ってないだろ。ただ何の得にもならないのに仕事をするなんて変だと思っただけだよ。」
「得ってどういうこと?どうしたら得だって思えるの?」
「わ、わからないけど…」

ルイルは少し目をきょろきょろさせました。今日はルイルとパティンの立場が逆だとキオは思い、おかしくなりました。その時、思い出したような顔をしたルイルが、キオのほうを向きました。
「大体、キオが三人で手伝おうなんて言うからいけないんだ。俺に無理やり手伝わせようとするから…!」
キオは右手の人差し指で自分を指し、目と口を大きく開けました。
「そうだよ、僕は一人で手伝うつもりだったのに、キオが三人で手伝うって勝手に決めちゃったからだ。」

キオはルイルとパティンの顔を交互に見比べ、呆気にとられました。
「どうして僕のせいになってるの?」
「あんた達、馬鹿じゃないの?」

シノンが大声で怒鳴りつけました。でもシノンの顔は笑っています。それに、思えば彼女のこんな元気な声を聞くのは久しぶりなのかもしれません。
「そんなことで言い合ってる暇があったら、三人とも早く手伝いなさいよ!」

シノン・サグの命令に従い、三人は彼女の手伝いを始めました。でも農園での仕事なら慣れたもので、一度働き出せば彼らはかなり役に立ちました。三人はすぐに役割分担をしました。土を掘り返すような力のいる仕事はルイルがこなし、落ち葉を集めたりする仕事はパティンが中心となり、キオはそのどちらも手を貸しました。かくして作業は順調に進み、シノンも一安心といったところでした。デムの姿は朝から見当たりませんが、この調子なら後三、四日で全ての仕事が終わるでしょう。彼女は鼻歌交じりに母親の姿を探しました。ところが、ミロアの姿はなかなか見つけられません。ひょっとして、また具合が悪くなったのではないかと、シノンは心配になりました。シノンは周りをきょろきょろとしながら農園をはじからはじまで小走りで進みました。もうすぐ自分の農園の境界線までたどり着くというとき、彼女は自分の悪い予感が的中したと思いました。木の根本にミロアが横たわっていました。シノンからは母の顔は見えず、彼女は恐る恐るミロアの背後から回り込みました。ミロアは顔が真っ青でした。そして目を閉じ、呼吸は苦しそうに荒れていました。ミロアの姿を発見した時、始めはもう死んでしまっているのかと思いました。でも、まだ生きています。
「パティンー!ルイルーー!キオーーー!」
シノンはありったけの声を出して三人を呼びました。パティンは誰かに呼ばれたような気がして、顔をゆっくりと上げました。
「どうしたんだよ、パティン?」
「うん、ちょっと…」

パティンは必死に考えました。自分を呼んだ声のことを。かすかに聞こえたような叫び声は空耳だったのか、それとも誰かがどこかで助けを求めているのか。そして結論が出ました。
「僕、ちょっと行ってくる。」

パティンは走り出しました。
「おい、待てよ。パティン!」

ルイルに呼ばれても彼は振り返らずにひたすら走りました。でもすぐにルイルに追いつかれました。パティンの脚ではルイルどころか、キオにだってかないません。
「待てったら!一体どこへ行くんだよ?」

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第六章「野犬の長」【9】

だからこそ、父の心配が苦しくもありました。二人はドクの墓に花を供え、小屋に戻ってホリシカばあさんに別れを告げてから墓地を後にしました。丘を下り、白森を抜けて村に帰りついたとき、キオは村の景色を新鮮な気持ちで眺めていました。ずっと長い間、村を離れていたような気持ちになっていました。命がけで自分を産んでくれた母のことを思いました。でもそろそろ夕方です。キオは父といっしょにそそくさと家へ帰りました。

          

白森の村の南の門を出たところには、東西へ続く道が伸びています。東へ行くとコリー村、西へ行けば赤土の村に辿り着きます。先日、コリー村で事件が起こりました。火事です。村の北西で起こった火事は瞬く間に燃え広がり、コリー村の農園を襲いました。燃えてしまった作物の木は、コリー村の全農園にある木の三分の一に当たります。農園を全て失ってしまった家もあり、コリー村は大変な事態となりました。そこで近隣の村々が立ち上がりました。燃え落ちた木を排除し、新しい木を植えるため、各村の男たちがコリー村の手伝いをする事になったのです。新しい木は白森の村や赤土の村、その他の村から少しずつ持ち寄って植え替えるのです。作業の準備は急いで進められました。キオやルイル、パティンの父親たちもコリー村へ出かけていきました。デムも二日酔いの頭を押さえながらふらふらと出かけていきましたが、やはり昼過ぎになるとこっそりコリー村を抜け出し、白森の村へ帰ってきて酒場にこもってしまいました。シノンはそのことを隣人から聞かされ、顔が熱くなるほど恥ずかしく思い、涙が出そうになるほど悔しい思いをしました。白森の村の農園では、肥料をカリスの実のなる木の根本に埋める作業がほとんどの家は終わっていました。終わっていないのは広大な農園を持つ家と、サグ家の農園だけでした。ここ数日、シノンの母・ミロアの様態が思わしくなく、シノンは一人で作業をしていました。彼女の救いは、たまにパティンがやってきて、彼女を手伝ってくれることでした。パティンは決して仕事が速いわけではありませんが、ひたすら黙々と作業をしています。シノンはそんな彼を見て、とてもうれしく思いました。さらに今日は、キオも手伝いに来てくれました。
「きっとすぐに終わるよ、がんばろう!」
キオが一声かけると、二人にも力がわいてきました。ミロアは家から出られず、デムは酒場に行ったままでしたが、シノンは寂しさを忘れることができました。翌日になるとミロアがよたよたと農園までやってきました。キオとパティンの二人が手伝ってくれていると聞いて、ミロアは寝てばかりもいられないと思ったのです。サグ家の農園には久しぶりに活気が戻りました。みんなの明るい声が飛んでいます。

コリー村ではゴルたちが懸命に作業をしていました。しかし作業は思ったよりも難航していました。一番の原因は人の集まりがよくないことでした。“白森”や“赤土”からはそれなりに人が集まっていますが、他の村々はコリー村からかなり離れたところにあり、はじめはやって着ていた人たちも徐々に来なくなってしまっていました。そこでゴルの提案により、有志の者はコリー村に泊まり込みで作業をする事にしました。ゴルは長男・ルドに家のことを任せました。

その翌日、サグ家の農園での作業中、キオはどこからか人の気配を感じました。少し後ろの木々の間からこっちを見ているようでした。なんとなくその気配に心当たりがあったキオは、気づかれないように視界をその方向へ広げました。どうやら彼が思ったとおりの人物がいるようです。彼はおもむろにその人物のいるほうへ走り出しました。その人物はそのことに気づいて逃げようとしました。
「待ってよ、ルイル!」
キオに名前を呼ばれ、その者は足を止めました。確かにルイル・フィスコです。パティンと言い争いをした後、口をきかない日が続いていたルイルは、気まずくて手伝いに来ることができずにいました。少し視線の定まらない彼に向かって、キオはこう言いました。
「みんなで頑張ってるんだけど、まだ時間がかかりそうなんだ。ルイル、よかったら手伝ってよ。ルイルがいてくれると助かるんだけどな。」

ルイルは口元を引き締め、何か考え事をしているようでした。
「ルイル、何か用事があるの?」
「別に無いけど…」
「よかった、じゃあこっちに来ていっしょにやろうよ。」

キオはルイルの手を取って農園の中央まで彼を引っ張っていきました。
「一人で行けるから離せよ、キオ。」

ルイルはキオの手を振り解き、きょろきょろと辺りを見渡しました。もしここでいきなりパティンと鉢合わせをしたら、何と言えばよいのか、心の準備がルイルにはできていませんでした。

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第六章「野犬の長」【8】

「さて、何て名前なのかねぇ。元々野犬どもを名前で呼んだりしないからねぇ。気がついたらあいつは他の犬どもを引き連れていたよ。そのうちに自然と長って呼ばれるようになったのさ。」
キオの記憶の中で、確かにあの犬だけは違っていました。キオはあの犬と目が合いました。ひょっとしたら彼がそう思っているだけかもしれません。でも、あの目の輝きは他の野犬たちにはありませんでした。暗闇の中で松明の炎に照らし出された鋭い表情は、キオに強烈な印象を残していました。いつの間にかキオはもう一度あの犬に会いたいと思うようになっていました。前方からキオを呼ぶ声がします。ゴルが駆けてきました。

        

このホリシカばあさんは墓地の管理人です。もう何十年もずっとここで暮らしているのです。村まで下りてくるのは年に二回あるかないかです。パティンはおばあさんを怖いと言っていましたが、キオは全然怖くなんかないと思いました。ホリシカばあさんの小屋でキオは顔を洗いました。ジャージャのよだれの臭いがなくなったようにキオは思いました。それからゴルとキオはあらためて墓地の中を歩いていきました。
「悪かったな、キオ。お父さん考え事をしていて先に行ってしまったんだ。怖かったろ?」
「ううん。ホリシカさんとジャージャがいてくれたから平気だったよ。」

キオは精一杯強がりました。あまり父親に弱い姿を見せるのはよくないと感じていたからです。自分が夜になると外に出られなくなったことを、父はきっと怒っているのだろうと感じていたのです。するとゴルが不意に足を止めました。
「ここだよ、キオ。」
ゴルの目の前には白い小さなお墓が立っています。キオは身を乗り出してその墓に刻まれた文字に目を凝らしました。
<ドク・マシュル。158年にカリスの実に包まれてここに眠る。>

キオはその文字を口に出して読みました。彼の後ろでゴルが深いため息をつきました。
「お父さん、ドクって誰なの?」
「ドクはお前の…兄さんだ。」

初めて聞く話です。キオにはよくわかりませんでした。キオには兄と姉が一人ずついます。そのほかにも兄がいたとは驚きです。
「ドク兄さんは僕が生まれる前に死んじゃったの?」
「そうだ、キオ。ドクはミアが生まれた次の年にお母さんのお腹の中にやってきたんだ。お父さんは嬉しかった。子供は何人でも欲しいと思っていたからな。だけどもうすぐ生まれるという頃になって、お母さんは病気になってしまった。とても重い病気だった。そのままドクがお腹にいたら、お母さんもドクも命が危なかった。だからお父さんはお母さんにドクを生むのをあきらめさせたんだ。」

ゴルは話を続けました。
「お母さんは泣く泣くあきらめてくれたよ。それから2年たって、またお母さんのお腹に子供ができた。キオ、お前だ。」
キオは顔をあげ、ゴルを見ました。ゴルもキオを見ました。ゴルはキオの強いまなざしに目を細めました。
「俺は怖かった。実はお母さんの体は病気が完全に治っていたわけじゃなかったんだ。俺はまた悲しいことになると思って、今度もあきらめるようにお母さんに言った。だがお母さんは今度は絶対に生むといって聞かなかった。近所の人やルイルのお母さんも反対したが、お母さんを説得することはできなかったよ。だからみんなはお母さんを応援することに決めたんだ。産婆さんは毎日お母さんの様子を見に来てくれた。パティンのお母さんも、パティンを身ごもっていたのに家まで来て手伝いをしてくれた。まだルドもミアも小さかったから助かったよ。お母さんは時折体調を崩しながらも頑張ったよ。そしてついにお前が生まれた。とても元気な赤ちゃんだった。心配して集まっていたみんなも心から祝福してくれたんだ。」

ゴルはキオの頭をなでました。
「俺は臆病だったが、お母さんとお前に勇気をもらった。お前が生まれて本当によかったと思うよ。」
「本当?本当にそう思う?」
「本当さ。お前が生まれてくれたおかげで、俺もお母さんもドクが亡くなった悲しみから立ち直れたんだ。」
ゴルはキオの頭をなでていた手を彼の右肩にまわしました。
「だからな、キオ、俺に幸せをくれたお前にも幸せになってほしいんだ。そのためにはしっかりと生きていかなくちゃならん。どんな困難にも恐れずに立ち向かってくれ。それは全て自分しだいだ。俺には見守ってやることしかできん。負けるな。」

父はキオのことを怒っているわけではありませんでした。そのことを感じたキオはほっとしました。自分がうまれたことを父が喜んでいると聞いて、キオは嬉しく思いました。

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第六章「野犬の長」【7】

彼女の腰はすっかり曲がっていて、その上半身は地面とほぼ平行でした。彼女の体を支えているのは黒くて細い杖でした。全体的には小柄なこの老婆は、犬に向かってもう一度声をかけました。
「おやめと言ってるんだよ。そこをおどき、ジャージャ。」
ジャージャと呼ばれた犬は、そこでようやく後ろへ下がってキオを自由にしました。キオはゆっくりと上半身を起こしました。ジャージャにいっぱい舐められたからでしょうか、キオは顔中を変な臭いに包まれたように思って顔をしかめました。
「ジャージャのよだれはくさいからねぇ、後で顔を洗わないと臭いは消えないよ。」

そう言って老婆は開いている右目だけをぐにゃっと曲げました。きっと笑っているんだ、とキオは思いました。
「あんた、どこの誰だね?」
「僕…白森の村のキオ・マシュルです。」
「マシュル…ああ、ゴルの息子だね。」
「おばあちゃんは、僕のお父さんを知っているの?」
「私のことはホリシカと呼んでおくれ、おばあちゃんなんてとんでもない。まあいい…あんたのお父さんのことは知ってるよ。ここに墓がある者は家族のことまでみんな知っとるよ。あんたまさか、一人で来たのかね?」
「いいえ、お父さんといっしょに来たんだけど、僕一人になっちゃって…」
「そうかい、はぐれちまったのかい。じゃああんたの家の墓へ連れて行ってやるよ。ついておいで。」

見た目はちょっと不気味ですが、優しいおばあさんのようでした。外から見た印象とは違い、この墓地はかなり広いようです。おばあさんはゆっくりと歩いています。その傍らにぴったりとくっついて歩いているジャージャは、時折キオを振り返りました。食べられる心配はなくなりましたが、それでもキオはジャージャを少し怖いと思いました。キオはやはり古森でのことを思い出していました。あの野犬たちの中で一番大きかった犬、あの犬と目が合った時のことをキオは今でもはっきりと覚えています。ジャージャはきっとその野犬よりも大きいと思いました。ジャージャはどちらかといえばずんぐりとした体型をしています。丸い顔に太い足、大きな尻尾。体の毛はほとんど茶色で、目の周りと足だけが白色をしていました。
「あんた、犬が嫌いかね?」

ホリシカはキオに尋ねました。
「うん、森で食べられそうになったから。」
「森で?古森の野犬たちのことかい?」
「うん、僕とルイルとパティンが森で囲まれて、もう少しで食べられるところだったんだ。」
「ふん、あいつらは人を食ったりなどせんよ。」
「だって、今にも飛び掛ってきそうだったんだよ。」
「あんたたちが勝手にそう思ったんじゃないのかい?ほれ、さっきみたいに…」

さっき、ジャージャはキオにじゃれているだけでした。
「古森の野犬どもは元々人間に飼われていたのがほとんどさ。どういう事情かいっしょに暮らせなくなってあの森に住み着いたんだ。人間に優しくされた記憶が残っている犬は、みだりに人を襲ったりするもんじゃないよ。犬と人間は仲良しなのさ。」
キオは黙りました。白森の村で犬と仲良くしている人を見たことはありません。ですからホリシカの言葉に納得したわけではありませんが、返す言葉もないようでした。
「それにあいつらには賢い指導者がいるからねぇ。むざむざ人間を敵に回すような真似はしないのさ。」

指導者、と聞いてキオはすぐにぴんときました。
「あの大きな野犬のこと?」
「あんた、長に会ったのかね?」
「長?長っていう名前なの?」
「そう呼ばれてるのさ。長は大したもんだよ、他の野犬どもをまとめあげてねぇ。まるであんたの父親だね。」
「僕のお父さん?」
「ゴルには人の上に立つ力があるのさ。本人にはその気がないみたいだけどねぇ。」
キオはもっとその話を聞きたそうでした。
「おっと、ゴルのことに関してこれ以上は私の口からは言えないね。知りたければ本人から聞くんだね。」

少し残念でした。父親からそんな話を聞いたことはなく、聞いても話してくれるかどうかわかりませんでした。
「じゃあもっと長の話をして。名前はなんていうの?」

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第六章「野犬の長」【6】

「キオ、昼食がすんだら墓地へ行こう。見せたい物があるんだ。」
「見せたい物って何?」
「お墓だ。」
「お墓?誰のお墓なの?」
「行けばわかるよ。」

そう言ってゴルは村のほうへ視線を落としました。ゴルはこれまでキオが見たことのない表情をしていました。それがキオにはとても不思議でした。昼食が終わり、二人は再び歩き始めました。少しすると、白い柵に囲まれた墓地が見えてきました。二人は墓地の中へ入っていきました。ゴルは真っすぐ歩いていきます。今の彼は森の中での彼とは違い、キオを振り返ることはしませんでした。ただひたすら急ぎ足で目的地に向かっていきました。キオは森を歩いた時より、さらに必死で父についていかなければなりません。キオは石につまづき、よろめいてしまいました。その拍子に肩から提げていた袋の口が開き、中に入っていた物が飛び出ました。キオは慌ててそれらを拾い集めました。ただ、ゴルはそのことに気づいていません。
「お父さん、待って…」

キオの言葉が聞こえなかったのか、ゴルはどんどん先へ進んでいってしまいました。キオが落ちた物を袋の中へ全部しまい終わった頃には、ゴルの姿はどこにもありませんでした。キオは走り出しました。でも走っても走ってもゴルの姿を見つけることができません。キオは父を探して右へ曲がったり、左へ曲がったりして走り続けました。ただどっちを見てもお墓ばかりなので、同じところをぐるぐる回っているような気がしてきました。そしてキオはとうとう走れなくなり、地べたに座り込みました。父とはぐれてしまい、彼は心細さでいっぱいでした。たくさん走ったための息苦しさが、彼の胸を余計に締め付けました。昼食時の涼しい風はぱたっと止まり、聞こえてくるのはぜいぜいという自分の激しい呼吸の音だけです。太陽はまだ高いところにありましたが、キオは古森にいたときのことを思い出しました。村人たちの墓が森の木々のように思われました。今にもあの墓と墓の間から野犬たちが飛びかかってくる様な気がしてなりません。父を呼ぼうにも声すら出ません。背後に何かの気配を感じました。じゃりっと土を踏みしめる音がします。こちらに近づいてきました。キオは振り返ることができませんでした。もし振り返り、そこに野犬がいたら、再びあの絶望を味わうことになるのです。足音はどんどん近づいてきます。ついにその音はキオの真後ろまでやってきて、ぴたりと止まりました。キオは目を見開き体を震わせながら、恐る恐る首を後ろへ向けました。それがすぐに犬だとわかり、キオはわあっと大きな叫び声を上げました。息子の悲鳴はゴルの耳にもかすかに届きました。彼はそこでようやくキオがついてきていないことに気がついたのです。ゴルは声のしたほうへ走り出しました。キオはお尻を地面にくっつけたまま後ずさりをしました。犬はこっちを見ています。犬は口を開け、舌を出し、よだれを垂らしています。この犬は自分を美味そうだと考えているに違いない、キオはそう思いました。犬の頭の後ろで何かがちらちらとしています。それは犬の尻尾でした。犬が尻尾を高く振っていたのです。きっと自分を食べることがとても嬉しいに違いない、キオはそう思いました。
「ぼ、僕なんか食べたって美味しくないぞ。あっちに行けよ。」
キオは手を振って追い払うしぐさを見せました。それを見た犬はキオに飛びかかりました。心臓が止まりそうでした。キオが身を硬くした途端、犬はキオに体当たりを食らわせました。キオはそのまま仰向けに倒れました。犬は彼の上にまたがりました。キオの頭の中は完全に混乱しました。彼は手足をばたつかせて犬をどかせようとしました。しかし犬はキオよりも大きかったのです。犬はキオの顔を舐めはじめました。尻尾はびゅんびゅん振られています。キオが落ち着くまでにいくばくかの時間がかかりました。犬はいつまでたっても彼に噛み付こうとはせず、ひたすら舐めるのみでした。ようやく違うと気づきました。
「ジャージャ、おやめ。」

それはしわがれた女性の声です。その声に反応した犬はキオを舐めるのをやめて、顔を後ろへ向けました。キオも犬と同じほうを見ました。キオと犬の視線の先には老婆が一人立っていました。髪は白くて長く、灰色の毛が何本か混じっています。顔はしわくちゃで右目を大きく開けていて、少し怒ったような表情をしています。

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第六章「野犬の長」【5】

一人ではとても寝付けそうにありません。キオの頭の中にあったのは、暗闇に浮かぶ野犬たちのギラギラとした眼です。もう少しで自分たちは野犬に食い殺されてしまうところだったと考えるたびに、彼は身震いしました。さらにはっきりと残っているのは、あの野犬の集団の中でひときわ大きかった一匹です。他の犬とは明らかに違う体格と、こちらの心を見透かしたような鋭い眼が、キオを再び毛布の中へと追い立てるのでした。

              

来年の収穫のための作業が一段落した頃、白森の村には安穏とした日が続いていました。そんな中、キオは父ゴルに連れられて外に出かけました。目的地は村の北にある白森の中央にそびえる“白森の丘”です。広大な森の中にぽつんと覗くそのはげ山には、村人たちの墓が並んでいます。死んだ者たちが白森の丘の上から村を見守ってくれていると大人たちは子供に話します。キオとゴルは日の出前、ようやく辺りがうっすらと白んできた頃に家を出ました。白森を縦断し、丘を登りきるにはとても時間がかかるのです。片道だけで大人の足でも朝に家を出てお昼前、子供が行くなら朝早くに出発してもお昼を過ぎてしまいます。ですから本当はもっと早くに家を出たかったゴルでしたが、暗いうちはキオが家を出ないと思って少々待ったのです。キオは眠い目をこすりながら、ゴルの後を付いていきました。白森の入り口に差し掛かった頃、空は徐々に明るくなり、ようやくキオの目も覚めてきました。
「キオ、今から白森に入るが…怖くないか?」
「大丈夫、怖くないよ。」

どうやら白森は平気なようでした。白森の村の南、あの騒動があった古森には、キオとルイル、パティンの三人はたとえ昼間であっても近づこうとしませんでした。それだけにゴルは、キオが白森に入ることも拒むのではないかと危惧していたのです。太陽が完全に姿を現し、白森の中にはたくさんの光が入ってきました。白森に生えている木々は白くありません。白いのは村の中にあるカリスの実が成る木だけです。カリスの実がなる木は白森の中にあったのです。この村が誕生したのは比較的新しく、数十年前のことでした。ここに移り住んできた人々はまず村の糧となる作物を探して森に入りました。その森がやがて白森と呼ばれるようになる場所でした。その森の中で人々はまばらに生えていたその木を見つけました。その木には程よく熟した実がなっていました。彼らの代表が一人その実を食べてみると、それは香りがよく、果汁も甘みも申し分ない物だったのです。彼らは白く輝く果実をカリスの実と名づけました。カリスの語源は、白くて甘いという意味の「カル・イス」という言葉がなまったものだといわれています。人々は森にあったカリスの実が成る木を全て今の白森の村の地に移しました。彼らはカリスの実を育て、収穫し、村を発展させていきました。白森の村があるのはカリスの実のおかげだといっても過言ではありません。村人はこの尊い白い木があった森を白森と名づけ、それがそのまま村の名前になったのです。ゴルとキオは丘を目指して森を歩き続けています。ゴルは時折振り返り、キオがついてこれているかどうか気を使いました。キオは父親とはぐれないよう、一所懸命に彼の後を追っています。ゴルの目には、そんな息子が健気でもあり、たくましくも映りました。その大切な息子が夜の闇の前には形無しとあっては、歯がゆくもあり、キオをかわいそうだとも思うのでした。彼らの道が少し上りになってきました。丘のふもとに差し掛かったようです。
「キオ、これからもっとしんどくなるが大丈夫か?」
「うん、こんなの平気だよ。」

ゴルは丘をゆっくりと登っていきました。キオは顔を真っ赤にして、額に汗をにじませながら丘を登っています。やがて木がまばらになり、ついにはまったく木のない所へと二人は出てきました。空を見ると太陽は一番高いところにいました。
「さあもうすぐ頂上だぞ。そしたら昼飯にしよう。」

キオは汗だくの顔をほころばせ、父親に向かって大きくうなづきました。

         

ゴルとキオはようやく頂上に辿り着きました。白森の丘の頂上は平地になっています。ここを墓地にするため、白森の住人たちが地ならしをしたのです。地面には草が茂っています。ゴルはそこに腰を下ろし、キオは身を投げ出して寝転がりました。気持ちのよい風が吹き、キオの火照った体を冷ましてくれました。二人はシアが用意してくれた弁当を食べ始めました。キオがまだ寝床にいるときに焼きあがった大きなパン、マセノア山羊の乳からできた真っ白なチーズ、それと隣村名産・マロピーの実です。キオはそれらをゴルに負けないくらいにたくさん食べました。ゴルはそんな息子の姿を見て、また喜びました。

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第六章「野犬の長」【4】

大きなずん胴に野菜がいっぱい放り込まれ、ぐつぐつと煮込まれています。女たちが腕によりをかけた料理は、出来上がるとすぐに会場まで運ばれました。子供たちは祭りの設営が進む会場を走り回って邪魔をしたり、料理をつまみ食いする機会をうかがっています。マシュル家からもゴルの妻シアと長女のミアが手伝いに来ています。てきぱきと働くシアを見習って、ミアも嬉しそうに皿やコップを運んでいました。キオとルイルとパティンの三人は学校の運動場で他の子供たちといっしょに遊んでいました。敵味方に分かれて陣地を奪い合う騎士ごっこは彼らの定番の遊びでした。彼らは遊びに夢中になって、太陽が空のてっぺんを通り過ぎたことにも気づきませんでした。周りの色が黄色からオレンジ色に染まりかけてようやく、運動場の子供たちは祭りの始まりが近づいていることを悟りました。
「おい、そろそろ祭りが始まるぞ。役場へ行こうぜ。」
そういって子供たちは一斉に走り出しました。運動場には誰もいなくなったと思いきや、ぽつりと三つの小さな影が残っています。キオとルイル、パティンの三人でした。彼らは今までいっしょに遊んでいた友達が役場のほうへ消えていくのを見守っていました。彼らも収穫祭は大好きで、毎年夜遅くまではしゃぎまわっていたのです。ですから今年も当然のように祭りに行くはずでした。でも彼らは立ち止まったままです。彼らの足を動かなくさせているのはオレンジ色の景色、太陽が地平線の近くまで降りてきているという事実。
「もう遅いから、俺帰るよ。」
「あ、僕も…」
「僕も帰らなきゃ。じゃあ、また明日ね。」

三人が走り出した先はそれぞれの家でした。すでに彼らの頭の中には祭りのことなど残っておらず、日が沈んでしまう前に家の中に入りたいという事ばかりでした。一心不乱に走るルイル、三人の中で学校から一番家が離れている上に足も遅いパティンは泣きそうで、キオは歯を食いしばり顔を紅潮させながら、それぞれ何とか夜よりも先に家の中に飛び込むことができました。マシュル家には祭りの準備を終えて一旦戻ってきていたシアがキオを出迎えました。
「あらキオ、帰ってきたの。お祭りに行くんじゃなかったの?」

始めキオは答えませんでした。
「キオ?」
「僕行かない。行きたくないんだ。」
「あらそうなの…」

シアは少し寂しげに微笑みました。彼が夕焼けの中を慌てて帰ってくるのはもう何日も前から続いていたことだったのです。それまでは辺りが真っ暗になっても帰ってきていないこともたびたびでした。それが代わってしまったのは「あの日」の後のことでした。古森の闇の中で野犬に囲まれた夜から数日後、キオたちの帰宅は目に見えて早くなっていったのです。そしてカリスの実の収穫が終わる頃には、子供たちは外で月や星を見ることをしなくなりました。マシュル家はキオを残して全員が祭りに出かけました。シアは始めキオと共に残るつもりでしたが、ゴル曰く、
「行きたくない奴は放っておけ。」
と一喝され、結局シアも出て行ったのです。それはルイルやパティンの家でも同じでした。三人が祭りに来ていないことを知ったシノンはとてもがっかりしました。
「何よ、あの弱虫たちったら。暗いのが怖くて外に出られないなんて情けないわね。」
サグ家の農園の収穫も祭りまでに何とか終わることができました。シノンはその解放感も手伝って、あの三人と思いっきり遊んだりおしゃべりをしてやろうと意気込んでいたのです。村の若者たちが男女一組ずつに別れて踊りを始めました。曲の演奏をしているのは、“偉大なるアーロイ”市からやって来たモセオセ楽団の面々です。祭りに来てくれるように頼んだのは、これもディスマン氏でした。モセオセ楽団の楽器の音は村中に響き渡りました。キオはその音をかすかに聞きながらベッドにもぐりこみ、頭から毛布をかぶりました。でも毛布の中は真っ暗で、彼はすぐに顔を出しました。彼は体を起こし窓から役場のほうを見ました。役場の辺りだけが明るく浮かんでいます。彼はその明かりを見つめながら、早く祭りが終わって家族のみんなに帰ってきてほしいと願いました。

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第六章「野犬の長」【3】

「キオの家の農園、広いもんね。」
「終わったらどうする?何して遊ぶ?」
「僕はお父さんと白森の丘へ行くことになったんだ。」
「白森の丘?あんなところ行ったって何もないよ。何しに行くんだよ?」
「わからないよ。お父さんは行けばわかるって言うだけだし。」
「あそこってお墓があるんでしょ?怖いおばあさんが出てくるって噂だし。」
「パティンは何でも怖がってるだろ。」
「で、でもそこのおばあさんは本当に怖いって…」
「誰が言ってたんだよ?」
「シノンが…」
「何でシノンの言うこと信じてんだよ、あいつはまだ子供だぜ?」

僕らも子供なのに、とは言えずにパティンは口をつぐみました。
「ルイルの家はどこかに行く予定はないの?」

キオが話題を変えました。
「うちの父さんは仕事以外は家の中でごろごろしてるだけだからな。キオの父さんみたいにどこかに連れて行ってくれたことなんて一度もないよ。」
「白森の丘なんて、本当は僕も行きたくないんだけどね。それで、パティンは何か予定あるの?」
「あ、僕はちょっと…」
「ちょっと?何だよ、言ってみろよ。」
「手伝いを…」
「声が小さくて聞こえないよ、もっとはっきりしゃべれよ!」
「怒らないでよ、…シノンの農園の手伝いをするんだ。」
「シノンの?」
「パティン、何でお前がシノンの家の手伝いをするんだ?」
「シノンに頼まれたんだよ。」
「頼まれたんじゃなくて、命令されたんだろ?」
ルイルは意地悪そうに笑いました。
「そ、そんなのどっちでもいいだろ。シノンの家の農園、あまり作業が進んでないみたいだから。」
「シノンの父さんが仕事もしないで昼間っから酒飲んでるからだろ、あんなのほっとけばいいんだ。」
「シノンのお母さんの病気もよくならないもんな。じゃあ僕も白森の丘から帰ってきたらパティンといっしょにシノンを手伝うよ。」
「やれやれ、何だってこんなお人よしの連中を友達に持ったんだろう、俺は。」
「ルイルもいっしょにやろうよ、三人で手伝えばきっと早く終わるよ!」
「冗談じゃないよ、自分の家の手伝いだっていやなのに、どうしてよその家の手伝いなんかしなくちゃいけないんだよ!」
「いいよ、無理して手伝いに来なくても。僕一人でやるから。」
三人の間に沈黙が広がり、ルイルはいたたまれなくて、二人の元から走り去りました。パティンは黙ってとぼとぼと歩き出し、キオは彼を慰めながら後を追いました。

        

それは収穫祭当日のことでした。祭りを楽しみにしている村人たちは朝からそわそわと落ち着きがありません。祭りの準備が始まるのは午後からだというのに、気の早い何人かはもう会場の広場に集まっていました。祭りは村の広場で催されます。村の広場は村役場の真ん前にあります。普段その場所は村人たちの語らいの場であったり、子供たちの遊び場だったりします。ちなみに、白森の村役場は小さな一軒家です。そこに村長の家族が住んでいるのです。村には役人という者はおらず、役場の業務は村長の家族が全てまかなっています。村長とその妻、彼の三人の娘が村役場で働いています。娘たちは三人とも結婚していて、村長の孫は合わせて六人います。祭りの準備も村長一家が仕切ることになっています。人手を集め、必要な物を運ばせ、飾り付けの指示を出すのです。村人たちは祭りを順調に始めるため、彼らの指示に素直に従います。お昼が過ぎた頃には村の男たちが集まって力仕事を始めました。テントを広げたり、大きなテーブルを運んだりしています。村の娘たちはディスマン氏の家に集まりました。ディスマン氏は村一番の大金持ちです。彼は今日の祭りのために、マセノアの各地からたくさんの色々な食材を取り寄せていました。村の女たちはディスマン氏の家の大きな台所を借りて、祭りで出される食事の用意を始めました。

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第六章「野犬の長」【2】

「そんなことはない、あんたが気にする必要は無いんだ。あれはキオが勝手にやったことだ。言い出しっぺもキオのようだし、全部あいつが悪いんだよ。」

ゴルはデムを家まで送り、それから家に帰りました。彼を真っ先に出迎えたのはキオでした。
「お父さん、お帰りなさい!マレアのお父さん、大丈夫だった?」
ゴルはキオの頭をなでました。
「心配ない、ちゃんと家に帰ったよ。」

台所からシアが出てきました。
「母さん、腹がぺこぺこだ。食事にしよう。」

マシュル家の食事が始まりました。シアが作った料理をルドもミアもおいしそうに食べています。キオも楽しそうです。ゴルとシア、ルドには明日も朝早くから農園での仕事があります。ミアとキオも学校に行く前に手伝いをしなければならず、早めに床に就きました。ゴルとシアは二人で話をしています。
「母さん、キオのことだが、このままではよくないんじゃないか?」
「わかってるわ。でもあれだけ強いショックを受けたんですもの、そんなに簡単に元のようにはならないわよ。」
「かといってほっておく訳にはいかないだろ?俺はキオに強くなってもらいたいんだ。」
「それは私も同じよ。でもどうしたらいいのか正直わからないのよ。」
「俺に考えがある。白森の丘に連れて行くよ。」
「ドクのところへ?でも今連れて行っても効果があるとは思えないわ。それどころか余計に負担をかけるだけじゃないかしら?」
「俺はあいつを信じるよ。キオならきっとわかってくれるはずだ。農園の仕事が一段落ついたら、二人で行ってくるよ。」
キオはベッドでぐっすりと眠っています。一日が過ぎるたびに、少年の体は少しずつ大人の体へと成長していきます。でも彼の心は、あの日に受けた傷によって成長を妨げられているのです。マレアを追って古森へ飛び込んだあの日の出来事は、彼とその友人たちの勇気に鍵をかけてしまったのです。

       

白森の村の子供たちが通う小学校は、村役場の南側に位置します。この学校はディスマン氏の寄付によって五年前に建て直されました。ですので、この学校は”敬愛するディスマン氏の恩恵を受けた白森の学校”という、少し長い名前になっています。子供たちはここで十四歳になるまで学びます。それ以上の高い教育を希望する者は“偉大なるアーロイ”市にある聖ヴォゼーロ学校へ通うことになります。そのような者は白森の村にはほとんどいません。“白森の学校”で生活に必要な知識はほとんど身についてしまうからです。村に一つだけのこの学校に来れば、村の全ての子供たちに会うことができます。もちろん、あの子達にも。キオとルイル、パティンの三人は同じ教室で授業を受けています。勉強はパティンが一番成績がよく、二番目がキオで、ルイルはあまり授業に集中できていません。パティンはもう少し勉強の時間を増やせば、聖ヴォゼーロの勉強にもついていける学力が身につくといわれています。彼が勉強に集中した時、そのひらめきは周囲を驚かせます。学校で誰も解けなかった数学の問題を、パティンは事も無げに解き明かしてしまったことがあります。そんな事もあって、学校の先生や彼の両親も期待をしていますが、パティンにしてみればキオやルイルといっしょに遊んでいるほうが楽しいのです。そして運動はルイルのもの。キオは彼についてゆくのがやっと、パティンは足元にも及びません。学校の運動試験で彼は十三、四歳の年長者たちにも引けをとらない成績を残しました。特に秀でているのはその素早さです。かけっこをすれば同い年の子には敵はなく、木登りでは十三歳の子よりも速くてっぺんに到達しました。そんなルイルは将来、騎士になるのが夢です。もちろん、運動能力だけで騎士になれるというわけではありませんが、彼は自分の能力を最大限に生かせるのはそこしかないと思っています。三人を比べる時、いつも真ん中にいるのはキオです。特に飛び抜けた所を見せることもなく、勉強も運動もそれなりにこなすだけです。そこまでしか頑張れないのです。彼はルイルやパティンが活躍するところを見ているのが好きなのです。それが彼のいい所であり、欠点でもありました。でも、三人が何かを始める時、口火を切るのはキオの役目です。あの日、マレアを助けようと言い出したのはキオでした。決めるのはいつもキオなのです。ただ、あの事件は彼らにとっての大きな失敗であり、彼らの心に深く大きな傷を残しました。彼ら自身にその自覚がなくても、その傷によって彼らは苦しんでいるのです。それでも彼らはこれまでと代わらず仲良しで、今日も学校が終わっていっしょに帰っているところです。
「俺の家は明日ぐらいに終わりそうだけど、キオのところもそうだろ?」
「うちは明後日までかかりそうだよ。お父さん大変そうだし。」

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