第二十七章「コドバタ村のヤモキ」【5】
あそこだ、崖の所。
ドクが顔を向けたその先、湖を挟んだ反対側に、そそり立つ崖が見えます。
全員で目を細めて眺めてみると、そこに人が数名並んでいるのがわかりました。
「正規兵のように見えなくもないな。」
「おい、槍を持ってるぞ、間違いない。」
「そんな事より、よく見てみろ。
ぽっかりと穴が開いてる。洞窟になってるんだ。」
セイグの言うとおり、崖の足元には黒い穴が口を開けており、その周りに橙色の鎧を着た兵士が五、六名立っています。
比較してみれば、崖の大きさは人の背丈よりずっと大きいと思われました。
「あれが集落なのだろうが、これ以上は近づけないな。」
今度は上から中の様子を窺うという訳にはいきません。
あそこにキオの両親やセイグの家族がいるかもしれませんが、今は確認する手立てがありません。
「仕方がない、次を探そう。」
キオとセイグの未練を断ち切るかのように、ユドゥマコルがつぶやきました。
ウルテキが見つけたという最後の集落は、ここからさほど遠くないようです。
方角を確認しつつ、雑草が生い茂る中へ入っていきます。
その草の丈は大人の首辺りまで伸びており、キオとドクの姿はすっぽりと隠されてしまいました。
「はぐれるなよ、キオ。」
「大丈夫です、ドクがそばにいるから。」
ソーヴァンの呼びかけにキオが答えました。
青々とした草原の間を風が吹きぬけ、ざざざざと騒ぎ立てます。
心地よいと思われたのは始めだけで、草原を揺らす風は次第に強くなり、キオの行く手を阻みます。
あちらこちらから草が束になって、彼に襲い掛かってくるのです。
草の塊はやけに重く、キオは押しつぶされないように逃げるばかりです。
草をかき分けかき分け、何も見えないもどかしさに焦りを感じます。
「ドク…ソーヴァンさん…」
風はますます強く吹き荒れ、自分がどこを向いているのかもわかりません。
それは大人たちも同じで、とてもまっすぐは歩けません。
自分たちより低かったはずの雑草たちに覆い被されるようです。
かろうじて首を突き出したソーヴァンが見渡すと、草原は信じられないほどうねり狂っていました。
「キオ…!」
ユドゥマコルの声も風にかき消されてしまいます。
「どこだ、キオ…返事をしてくれ!」
この乱暴な風は、ドクの嗅覚さえも鈍らせました。
キオを探しに行こうとすると、草の壁に押し返されてしまいます。
その場に立っていることすら叶わなくなり、風の吹く方向へ流されていきます。
人間たちはもちろん、ドクにも逆らうことはできません。
一番最初に草原から吐き出されたのはセイグ、次いでユドゥマコル、さらにソーヴァン、そして最後にドクでした。
彼らは自分の目を疑いました、草原の外は嘘のように穏やかなのです。
「どうなってるんだ、まるで俺たちを拒絶しているみたいじゃないか。」
その意思を露わにするかのように、背の高い雑草たちは暴れていました。
「まずい、キオがいないぞ?!」
「くそっ、はぐれてしまったんだ!」
「どうする、探しに行こうにも、また追い出されてしまうぞ?!」
もう一度草原の中へ飛び込もうとしたドクですが、雑草は固まって壁のようになり、彼を弾き返すのです。
返す刀で天を仰ぎ、ドクは遠吠えを始めました。
高く、長く、何度も、遠吠えを繰り返します。
「風が止むまで待つしかない。」
「ああ、可愛そうに、キオ…」
「大丈夫さ、あいつは俺たちが思っている以上に強い子だ。
きっとキオも草原の外へ脱出しているはずだよ。」
喉が痛み、声が枯れ果てるまで、ドクの遠吠えは続きました。
大空へ吸い込まれていったドクの悲痛な叫びは、キオ・マシュルに届いたのでしょうか。
温かい毛布に包まれて寝返りを打ったのは、誰あろうキオでした。
現在彼は小さな家のベッドで眠っています。
少々寝相が悪すぎました、キオはベッドから床へ転げ落ちたのです。
でも、毛布だけは手放しません。
自分が落ちた音に驚き、キオは目を覚ましました。
ぼんやりとした視線の先には、家の細い柱がありました。
一瞬彼は、ここが白森の村の我が家だと思いました。
でも、握り締めていた毛布は、彼が慣れ親しんだものではありません。
キオは立ち上がってベッドの上に毛布を置き、寝室を出ました。
そこはすぐ別の部屋で、一つだけある窓から日の光が差し込んでいます。
目の前には丸いテーブルがあり、その上にはチーズと固そうなパンが載っていました。
それを見ただけで、キオの腹の虫が鳴き始めます。
「食べていいぜ。」
びっくりして、目が飛び出してしまいそうになりました。
窓がある壁とは反対側に台所がありましたが、そこは思ったよりも奥まっていて、キオから死角になった所に一人の少年がいたのです。


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